2018年02月18日

生命の味わい


噛めば噛むほど味のあるヤツ

噛んでも噛んでも味のないヤツ

人間もいろいろだが、


この冬最後のジビエ

青首鴨、霞ヶ浦産

当然だがジビエは野生の動物なので姿のまま店に届く

従って素手で毛をむしるところからはじまり

内臓を取り出しその内臓までも調理する


生命を喰らう

それをリアルに感じる野生料理


いいとか悪いとか

そういう不毛な討論をするつもりはない


人間は誰もがその生命を喰らい

自らが生きながらえているのだ




料理人とは

その生命を料理する人のことである




その認識が薄く自らのパフォーマンスと見かけ重視で

料理する者も多い

彼らは鯛の頭を捨て、大根の葉を捨て

自分が使いたい部分しか使わないものだ



料理は常に自然の恩恵の下に成り立っている

料理する者が自然より上に立つことなどない



一般家庭においても

簡単に食品を廃棄する消費者も多いらしい



調理する側も食べる側も

オブラートに包んだようなご都合主義はよしてくれよ



そこには多くの命が犠牲になっているのだから



人間はそもそもエゴイストであり

どうやってもその辻褄は合わない



いくらそれを正当化したくても

必ずどこかに引け目を感じるものだ



それはすべて生きるため

いいとは言わないが

生きるためである



自らが生きるために他の生命を殺め

だからその殺めた生命を生かす



殺して生かす

おかしな話だ



結局は正論ぶっただけの人間様の究極のエゴとなる



自分が生きるために常になにかが犠牲になっている

ただそれだけが真実である



料理人はその矛盾を受け止めるしかない



その後ろめたさをずっと受け入れ

ひたすら感謝してゆく覚悟が必要となる



だから半分捨てるくらいなら最初から殺すなよ

動物であれ、植物であれ・・



いい歳になった

この先はただただ犠牲になった生命の個性とその息吹を

ひたすら伝えてゆこうと想う




今日も世界のあらゆる人間が

無理にでも自らの行為を正当化し

後付けの理由をこじつけ納得したがっている



この私も例外ではない



皆が利己的な理由をこじつけ自らを正当化している



したがって相変わらずこの世界に争いは絶えず・・



争い大いに結構である



せいぜい争った後、

できることならこの世が平和に向かうために

個々の個性を生かすべきだ

できることなら生きてるうちに・・



すべては矛盾の整合なのだろうから



まったくの純白な人が

この世を平和にできるとは想えない



どす黒い心が

この世を好転させるとも想えない



いつだって矛盾を受け入れている中庸、半眼がいい



真っ白いことばかり言ってもそうもいかないし、

真っ黒いことを知り、玄人気取りで酔いしれてみても

この世はそんなに捨てたものでもないのだ



白が黒を批判し、黒が白を拒絶する

その中に中庸のふりをした白と

中庸のふりをした黒がいて、更にややこしくなる



一定の正義を掲げ、誰かの矛盾をカリカリと追及する人は

自らがそもそも矛盾していることに気づいていない



核を持つなと人には言いながら自分は大量に持っていたり

動物愛護だと特定の動物を保護しながら散々魚や肉を喰い

世界平和だ人間愛だと言っているシスターと話してみれば

身の廻りのことは自己中でとってもキャパが狭かったり

不倫は最低だと言っていた人間が不倫する



保守がいてリベラルがいて中道がいて

右がいて左がいて、皆が我こそがと主張するけれど

その主張をよく聞いてみれば誰もが矛盾しているものだ



そもそも矛盾で出来上がった世界に白黒つけたがり

相手を打ち負かしたくて引かないから茶番になる



正しいか正しくないかなんて

立ち位置によって変わるようなことを

人はずっと精査したがる



人間を排除し自然だけを視れば、なんの矛盾もないものだ



人が集まれば矛盾して当たり前の世界にいて

我こそはなんの矛盾もない聖人を気取り

他人の矛盾を叩いてゆく



不倫は文化ではないが

矛盾は文化である



人はなぜかその矛盾を嫌うものだ

自分こそが最大の矛盾の塊であることは棚に上げて・・



その知恵の輪をいかに整合させるかをこぞって挑む姿が

まさしくこの世界の文化となる



音楽を聴きスポーツを観戦し演劇を観覧しては心揺らし

書物を読みあさりわざわざ頑なになって

美食だB級だと単なる好みで好きなことを語りながら

人は”人の矛盾”を味わいとする

時に無垢な大自然に浸り綺麗になれた気がしては

あらゆることに想い馳せ答えを探し続け、

そもそも整合などしないものに挑んでゆく

おそらくそれが人間の苦悩の元、修練なのだろう



人は矛盾により練れ、研磨されてゆくのだ



もしも数学みたいにあからさまに答えがあったなら

人生苦労しない



割り切れない矛盾を無きものとして

まるで割り切れたかの如く

自らを綺麗に仕立てたいのが人間である



3.1415926535・・・・・・・を

”3”だと無理やり決めつけているゆとり教育みたいに

落としどころが傲慢で粗いのだ



誰もがまず先に自らの矛盾を、

その割り切れなさを認める必要がある



それを互いに認めなければ理解し合えないのだろう



この世の実態は矛盾そのもの

その矛盾はすべて人間の物質的我欲がつくりだすのだ



人は自らが互いに発している矛盾に耐えられず

利己的な解釈をして独自の正論をつくりたがる



そしてまた争うのだ



”生命の味わい”とは

人間の発する矛盾の味わいである



人間にも養殖と野性がいるが

生命はいろんな味があるから面白い



そして人間は自分で自分を料理するのだ



誰かに料理されるとしたらそれは依存であり

行く末はたいがい不幸の味の素となる



自らの個性を最大限に生かすには

あらゆる鍋の中で揉まれたあとの

自分に対しての匙加減による



その料理はとっても難しい

が、上手くいけばかなり美味しい



・・はずだ









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青首鴨のロティー、ソースサルミ

※ソースサルミは内臓のソース

































posted by 真中 at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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