2018年01月14日

2018 Hà Nội


どんよりとした曇り空である

季節はとりあえず冬だ


気温は12℃前後を行き来し

昼も夜もあまり変わらない


ハノイの旧市街はずっと何かが蠢いている


よく見てみれば日本の誇るHONDAスーパーカブが

かなりのシェアを占めているようだ


まず真っ先に気になるのは連打するクラクションの

やかましい音である


この国はクラクションで明け暮れる・・


ほぼ無駄に鳴らしているとしか思えない


が、しばらくすると

それは特定の誰かに鳴らしているのではなく

自分の存在を知らせるためなのだと分かった


交通ルールなんかない

いや、あるのかもしれないが誰も守っていない

先に行ったもの勝ちだ


徒歩で道路を横切るのも躊躇するが

縦横無尽に走り去る車や原チャリの流れを遮り

思い切って突っ込んで行くしかない


そうすれば相手が勝手に避ける


そんな感じだ


おそらく目をつぶって歩いても勝手に避けるだろう


日本で目をつぶっていきなり道路を横切ったら

間違いなく事故になるだろう

なぜなら誰もそれを想定していないからだ


余裕で反対車線を逆走するし

相手もそれをすでに予測している


あり得ないことが、あり得るのだ


皆、そのあり得ないことがすでに想定内だから

結局何事も起こらない


とにかくめちゃくちゃなのだ

そのめちゃくちゃのなかに秩序がある


誰かに強制され決められたルールではない

本能同士がぶつかった先の暗黙のルールだ



食べ物は定番のヴェトナム料理を好んで食べてみた

ホテルのマネージャーから

予め情報を仕入れていたから外さなかった、が

自分のガイドブックで行ってみたところは

2軒行って2件ともすでに無くなっていた

最新のガイドブックにもかかわらず・・



フォーや春巻き、ヴァインセオ

日本のヴェトナム料理屋とは微妙に違う

細かなことを言えばきりがないが

その細かなことを見るために訪れた旅でもあった



何処へ行っても大量のハーブ類が

皿に山積みされて出てくる



それを残せば元のセントラルボールのなかに戻され

おそらく見た限りでは使い回されている


昔、船場吉兆でそれを裏でやっていて告発されたが

堂々と、客に見えるところでやっている

何でもありだ

というか日本人とは感性が違うということだ・・




想ったよりパクチーを多用していない


日本のベトナム料理は

どうやら視点や特徴付けが過剰らしい


東京でベトナム料理屋にゆけば、

必ず生のままのモヤシがあらゆる料理に入ってくるが、

ハノイで生モヤシなど一度も出てこなかった

見かけもしない


モヤシはヴァインセオにのっていただけだが

それもしっかり火が入っていた


日本のようにフォーにも生春巻きにも入っていない


ホーチミンとかダナンとかに行けば

出てくるのだろうか?

まだ一部しか見ていないので何とも言えないが・・


日本であの生モヤシを美味しいと思ったことが一度もない

料理的に間違っていると思っていた、

その確認もしたかった



言葉はホテル以外は英語すら通じない

ほぼジェスチャーと指差しだけだ



肉は鶏と牛が最もポピュラーで

少し豚肉もある

それ以外はヤギとか犬肉もある


幹線道路ですれ違った原チャリの荷台の籠の中に

たくさんの犬が生きたまま折り重なるように詰め込まれ

その顔が悲しげだった


あれは食肉用に運ばれているのか?

なんとも言えない気分になった


戌年に、あれ見ていいのか?

逆療法で、

戌年だから犬を食べてみたほうが良かったのか?


やはりとても食べる気にはなれない




シクロという三輪車に乗り市内観光をすれば

おっちゃんが1時間のところを40分でやめようとしたり

100000ドン(約500円)と最初に言ったはずなのに

降りるときは20ドルだと

急に貨幣の種類を変え大声で叫びだす

そのまま小さくなってしまえばずっと責められるから

こちらも大声を出し反撃する


それで急におっちゃんが折れる


当たり前だ

悪意があるのはおっちゃんのほうで自覚もしている


どこでも有り勝ちな光景だ



ただ基本的にいい人が多い

親切ではない、それは言葉がそもそも通じないから

お互い諦めている感じだ


ただいい人だというのは空気的に解る


社会主義というが何かを国家が配給していたのは

ずいぶん前に終わっているようで

何をもって社会主義なのかは

ちょっと旅行しただけでは解らない


土地や建物や家賃や税金や

そういうのがどうなっているか

ちゃんと入り込めば見えてくるのだろう



街はずっと埃っぽくて最後は咳が定期的にではじめた



街角では地面にシートを敷いただけで魚を切ったり

膝上くらいのところで肉や野菜を切り調理している


軒先の客も、

銭湯の椅子みたいな低いプラスチックの椅子に腰かけ

いろんなものを食べている


とにかく全体的に低い位置で生活しているという印象だ


目の前をガンガン車が行き交い、散々埃が舞っている


日本ならすぐ保健所が現れるだろう



いろいろ断片的に紹介してみたが、

建物も人もノスタルジックで素敵な国だ

またぜひ行きたいと想う




日本に帰ってきた


静かである・・

空気が綺麗だ・・

整然としている・・


その宵闇のスクリーンに

”秩序”という文字が浮かんで見えるようだ


クラクションなんか誰も鳴らさない


日本はやはりすごい、と想った

称賛すべきである


それが見栄だろうがプライドだろうが

確実にこの国は秩序正しい国である


これは村意識とか島国根性とか

異質のものを排除する力が強い民族であることからもくる


そうでなければ

ここまでクオリティーの高い秩序は生まれやしないだろう



ただ同時にその空気のなかに変な違和感も覚えた

ヴェトナムから帰りたてだからだろうか



あまりにも規律に支配されすぎてやしないか?



”規律、秩序” と

ハノイのクラクションのごとく連呼するから

かえって動脈硬化が起こる場面をしばしば見かける

それによる茶番劇もこの街では後を絶たない


どうでもいいようなことに

無駄な時間を費やしているようにも見えることがある


最近では、相撲協会の問題とか

雪で立ち往生した電車にずっと乗客を閉じ込めたJRとか、

見ていてバカバカしく滑稽だ


もっと柔軟な発想があっただろうに

それが最善策だと思い込んでいる


何かあったら自分が責められたくないことが先に立つから

行動が萎縮するのだ


日本人の規律順守とは

単なる自己責任回避の布石なのだろうか?


同じことを何度も繰り返し取り上げ、”誰のせいだ ! ”と

ずっと誰かをやっつけるまでまくしたてるマスコミも

やはりこの国のメディアのレベルの低さが露呈される

特に週刊誌は最悪である



マスコミのレベルの低さイコール

国民のレベルの低さとなる



最近は週刊誌が先行で

それにテレビが便乗してまくし立てる



テレビ業界も落ちぶれたものだな

ハイエナみたいな週刊誌から

さらにハイエナみたいにおこぼれを頂戴し

我が物顔で煽り立てるのだから

自らの取材力の無さを露呈してる



あれ裏で週刊誌から情報を買ってるんだろ?

ショウモナイ・・



しかも彼らが日々時間を割いて垂れ流しているネタを

日本中が興味があると思っているのだろうか?



ただ視聴率が上がるからやっているのだろうから

やはり、すなわち国民のレベルだろ



誰かが打ちのめされるまで晒し者にして

それで気持ちが満たされるのだろうか?



だとしたら相当すさんでる

それを面白がってずっと見ている側も同じように醜い



要点だけ報道するならまだしも、

くどくどねちねちいつまでも追及するから

誰かを社会的に処刑しなければ収まらなくなる


成敗して

正義のヒーローにでもなった気でいるのだろうか?


人の営みなど

分りもしない外野がすべてを白黒つけられるものじゃない


間違えたら反省して変化すればいい

その先の身の振り方は自ら決めることで、

世間が圧力をかけ誘導することじゃない

社会が寄ってたかって処刑しなくてもいいのだ


本当の死刑のボタンは係員3人で同時に押し

罪の意識を和らげるというが、

マスコミの煽り立てる処刑は、

数百万、数千万の人間が同時にボタンを押している

さぞ、罪悪感が薄れるのだろう


自分はそんなに完璧なのだろうか?

人のことは顔出し名指しで舐め回すように批判しておいて

自分は全面マスクをして出てくる某週刊誌編集長殿

コメンテーターにずっと不毛な議論をさせる

各ワイドショーのプロデューサー殿

他諸々各位・・


せめて一筋のポリシーがあるのなら

堂々と顔を出し、その志を語ってみて欲しいものだ


そんなもの有るわけないか

単なる金儲けの野良犬なのだから・・


もはや餓鬼のいる地の底に堕ち、気品も節操もない

冷たさと薄情さ以外、優しさなど微塵もない


メディアもピンキリだから

立派なジャーナリストもたくさんいるだろうが

メディアには人を洗脳する力があるのだから

そこに胡坐をかきその権力を弄んでいいのかいな?



マスコミ批判はさて置き、例えば相撲協会だって、

散々モンゴル力士を都合よく盛り立て役に使っておいて

その危険性や確執や歪が想定内になかったのだろうか?


それとも、知っていて知らぬ振りをしたのだろうか?


事実は後者だろう


分っているくせに

改善策を練ったり、腹を割って話し合ったり、

具体的に指導したりせず、

何かあったら誰の責任だ、となる・・阿保だ


そこに何もせず胡坐をかいている輩が

たくさんいるってことだよ


国政議員も、地方議員も、官僚も、学校の教員も

都庁も、銀行も、メディアも、東電も、JRも、他諸々、

皆同じである


組織はいつだって間違いを認めない


組織が大きければ大きいほど多くの者が胡坐をかき

旨味を搾取している上層部の個人が隠れ、

一番弱いところに歪がゆき、問題の本懐を煙に巻く


本当にとぼけた社会である


そんな分かり切ったことをくどくど、

ああでもないこうでもない

誰が悪いどっちのほうが悪いってずっとやってる

終いにはお門違いの者を葬り・・The end


ずいぶん前だが

コンニャクゼリーを喉に詰まらせ亡くなった事件で

散々メーカーが責められた

あれを見て意味が解らなかった

別に毒を盛ったわけじゃない


悪いが食べる側の想定力や注意力

諸々の反射神経はどうなんだろう?


かと想えば毎年年始に餅を詰まらせ多くの人が亡くなるが

それはメーカーの責任を問わない


餅は国民食だからか?


幅の広すぎるものは地震にあったような扱いになる


同じことなのに、

特定のオリジナル商品を作るメーカーのように

責めようがある小さな的はとことん責められる


例えば人が人を殺せば当然殺した側は裁かれる

しかしマスコミが煽り立て

大衆が処刑すれば殺した側の責務は問われない


大衆とは気楽なものだ

個人が隠れられるからだよ


その隠れた個人個人が今の日本で一番陰湿なのだ



日本の社会は所詮茶番である



未だ発展途上のヴェトナムみたいに、

人間が元々持っているリアルに対抗できる反射神経など

この国からは、とうに退化しているのだろう



なにかあれば分かっているくせに

はじめて知ったみたいな顔をして

誰かのせいにしたい日本人


誰が悪いんじゃない

皆、自分が悪いんだろ

関係しているのに傍観しているだけの個々が悪いのだ


しかし自分のことはいつでも棚に上げる

誰もが自己保身の塊である


はっきり言ってしまえば

この国は外ズラがいいだけで内面はとっても病んでいる


ちょっと気配があるだけで

ハンドルを切るなりブレーキをかけるなり

その反射神経がないのなら事故になる


ノーブレーキで突っ込んでおいて

事故った後まで自分じゃない、誰のせいだ?

と戯言を並べる始末・・最強のアホだ


ヴェトナム人なら自分の反射神経の悪さを恥じるだろう

それは守られていない人間達の暗黙の掟である


すべてが自己責任だと心得ているからだ




だからハノイに着いたとき若々しさを感じ

日本に帰ってきたら、人々が皆老人に見えたのだ




野晒しで体当たりして生きている者と

強固な建物のなかで

守られるのが当たり前と思って生きている者との差だ


生きるためにただひたすら生きている者と

他との優位制のなかで見かけ重視で生きている者の差だ


原生林と

綺麗に松や柘植を切り揃え整備されたお庭の差だ


整備されたお庭でずっと手厚く飼い慣らされていると

それが判らなくなる



後者は、もしも挫折したとき

人間はそもそも、ただ生きるために生きている

そのシンプルなことを忘れてしまう



生きることに直接関係ないどうでもいいようなことで

最後までクヨクヨ悩み続ける



生きる上での、自分の阿保さ加減、鈍さトロさ、

浅はかさを恥じるより

カテゴリーの中で特定の誰かや世の中を責めたいのだ



そしてテスト勉強のように覚えた規律を

多くの人が疑いもせず正しいのだと信じ込んでいる



身近なコミュニティーでは

余計なことを言わないことが最大の自己防御だと、

指摘する必要のあることまでスルーしてダンマリを決め

何も言わないことがいい人みたいな社会になる


”私も言わないから、あなたも言わないでね” って

障らないように傷を舐め合い


誰もが自己防衛ばかりで社会が委縮し

キャパが狭く練れていない者達の集まりとなる


その割には、少しでも癇に障れば途端に切れて

仲間を巻き込み自己中心の戯言を並べながら

陰で散々人の悪口を言い、

ネット上では匿名で特定の誰かを批判し、

どんどん陰湿になってゆく


やがて何かあれば、真顔で屁理屈を並べ

自己保身に明け暮れるいい年した大人達


そんなセコい大人達の中で育つ子供もまた

自ら体当たりする前に損得勘定をはじめ

やがて何かあればすぐ人のせいにする

屁理屈ばかりの小さな大人になる



人目ばかり気にする全然潔くない生き様と

やせ我慢のように表面だけ繕い余裕ぶったその姿に

リアリティーを感じないのは

そこには実像よりも大きな虚像をこしらえるための

無駄な力学が働いているからだろう




日本は世界有数の高度な秩序を携えた幸せな国だ

これは先人の苦労と努力の賜物


称賛すべきことだが、

それにタダ同然で乗っかっただけの我々と

それ以降の世代は何かがちぐはぐだ



豊かなようなこの国は、いつだってどこか空しい・・


きっと誰もが感じているのではないか?



ヴァインセオの上の生モヤシと同じ

土台と具がちぐはぐで味がつながらない感じだ



自分の存在を知らせるために、

”自分はここに居るのだ” と、もっと正々堂々

ガンガンクラクションを鳴らしまくればいい



なんのアピールする努力もしてないくせに

気づいてもらえない自分の寂しさを埋め合わせるため

屈折した自分本位の規律や秩序を連呼して、

意にそぐわない者を探しだしては、

自らの身を隠しながら匿名のままでまくし立てあざ笑う

そんな浅はかで根暗で薄気味悪い輩たち・・


人のことはコソコソと攻め立てるが

自分のことは断じて攻められたくない


貧しい魂である


癌細胞に侵されるように社会がどんどん萎縮してゆく



ヴェトナムのあの体当たりのガチャガチャのほうが

よほど健康的で人間味がある



当然ながらヴェトナムにもっと入り込めば

その国の闇も視えてくるだろうが、

ただ、生きることに対して

日本人と比べて圧倒的に正直で、真っ直ぐだった

最低限偽物の自分を見せつけるようなセコさは感じない



一様断っておくが日本人はそんな人ばかりじゃない

輝いている人はたくさんいる


ただこの国は残念ながら

圧倒的にそういう傾向に動きはじめているようだ



心の底にくすぶっていた

この国にずっと前から有る得体のしれない何かが

この旅ではっきりとした輪郭を帯び

視えてしまった気がした




そしてこの病巣はなかなか治りそうもない


なぜなら、

末期になるまで自覚症状があらわれないのだから・・


表面を取り繕っている自分と

本性の自分との差が大き過ぎる

それは何の為ですか?


重症患者になれば

表面を繕う嘘の自分を本当の自分だと信じ込んでいる


そして自分が重病人だなんて微塵も感じていないものだ


裸の自分で堂々と体当たりできない

損得勘定ばかりの、そのセコさと虚しさに、

個々が早期に気づいて改めるしかない


それが手遅れにならぬように・・



裏表の乖離が激しい人間ばかりだから嘘の世になる



この社会を横切るのはなかなか厄介だから

知らぬふりをして、目をつぶって歩こう



でもここは日本だから

皆、反射神経が悪すぎて事故っちゃう?



ってかなりの皮肉・・















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posted by 真中 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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