2017年11月11日

夢の星


テレビ画面のなか

モーゼが神から十戒を授かったといわれる

シナイ山の映像が流れた



見渡す限り木一本生えていない殺風景な花崗岩の山である



かつてモーゼは、

エジプトに捕らわれていたイスラエルの民を率いて脱出し

長い流浪の末に彼らを”約束の地”へと導く


現在ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての

聖地となり巡礼者が多く訪れるシナイ山




遠い記憶が蘇る・・




目の前の現実ばかり見てしまう癖がある

それをずっと目を凝らし直視してしまう癖がある


目を逸らせばいいのに・・


そのずっと奥まで透視してしまうことがある


それで勝手に心が疲れてる

阿保か




夢を見ていたい

それも飛びきりのいい夢だ




人は夢と現実を行き来する




この世は決して綺麗じゃない

その負を誘発するものはすべて人の心からくる



もしも人間がいなければ

おそらくここはただただ美しい星なのだろう



だからなおさら人はその美に及ばない自らを省みて

綺麗なものを求めるのかもしれない



汚いことを知りつつ求めるのと

最初から綺麗だと信じているのでは意味合いが違う



子供達は皆信じている



いつからだろう?

そこに浸っていられなくなったのは・・



大人になってもまだ信じてる者もいる

時々そういう人を見かける



それは

相変わらずサンタクロースを信じているようなはなし



良く言えばピュアだが、お馬鹿とも言える



よほど守られた環境で生きてきたのだろう

または、よほど鈍感なのだろう




ただ、人間は現実を直視するだけでいいか?

それが幸せへと繋がるのか?

現実を理解し

一つ一つきっちりと対処できれば人は満たされるだろうか?


それはそれで、諦めと歪みを調整する作業を

ずっと繰り返し強いられるようになるんじゃないのか?

やがてそれに慣れてしまうのではないか?


そして”人生とはそんなものよ!!” なんて

酒を呑みながら判ったようなことを語りはじめ

だらしないドヤ顔をするのが落ちじゃないのか?


その姿こそ、一見利口そうなお馬鹿では?



現実を、いくら頭の固い学者や有識者らしき者が解析し

紐解いてみても

何の意味も持たないことをやがて知ることになる




ずっと夢を見ていたい




モーゼは夢を見ただろうか?

それとも現実を見ていたのか?

夢の導くままに難民を率いたのだろうか?

それとも現実の中の切実な対処として彼らを率いたのか?


ロマンティストかリアリストか・・


限りなくロマンティスト寄りのリアリストも兼ねた

中庸だったのかもしれない




テレビのなかの枯れ果てた大地を見て想い馳せていた




散々この小汚い現実を見尽くしたあと

それでも大いなる夢に浸りたいものだ


お前は馬鹿だと言われても

あえてその俗にいうお馬鹿に浸っていたいものだ




夢に浸ればいつしか

部分的に拒絶したくなるようなこの現実が

実は必要なアイテムに見えてくる



癌細胞も、テロリストも、自我も、強欲も

嫉妬も怒りも、驕りや優越感や、憤りや落胆も、

そんなものなにもない小綺麗な世界を一度は望んでみたが

もしもそれらが無くなれば

人は生きていられないことを感覚的に感じとれる



人は自分にとって嫌なものを排除したくなるものだ

その作業を世界のあちこちで誰もがやっている



しかしそもそも人間はどこかにずっと害敵が必要なのだ


例えば身の回りに嫌なものが一切なくなり

好きなものと無害のものと肯定派ばかりが周りを囲めば

また必ずどこかに敵を無理にでもこしらえるのが

人間の本性である


プラスマイナス、相反する者は永遠にそばにある

その原理の中に生きているのなら

その敵は嫌でも排除するべき対象じゃない

排除しても排除してもまた別物が湧いてくるのだから


それでも人は拒絶し排除する

誰だって大なり小なり大抵はそんなものだ




その元々有るものを”拒絶”し”排除”することこそが

おそらくこの星では最もNGなのだろう




生き物でも物質でも、菌でも病気でも、または感情であれ

あらゆるものがその存在には理由がある


それを根本的に存在否定をして

削除してしまうのが人間である


モーゼに言わせればおそらく

人間は創造主である神に盾突いていることになる


この世をエンドレスで地獄へと導く鍵は

そこにあるのだろう




”排除” ではなく ”変化” が吉


その変化は相手が変わるか自分が変わるか

どちらでもよいが、

最終的にどちらも変化すればそれが進化となる





かつてラクダに股がり

乾燥しすぎた透明な宵闇の彼方に光り輝く

満天の星に酔いしれながらシナイ山に登ったことがある


あのアラビアンナイトはまさに夢の夜であった


今やそのシナイ山もISの拠点である





夢と現実は同居する

同じ場所にそれらはある

同じ場所に天国も地獄もあるということになる


どこかに行けば

嫌なものがなにもない夢の世界があるわけじゃない


たとえば戦場でも美しい夢は見られる

または恵まれた楽園に居ても地獄にもなりうるのが

この星の正体である




目の前の現実ばかり見てしまう癖がある

その現実を直視してしまう癖がある・・



そこにストレスを持ち拒絶感を抱いたとき

それは地獄にずっと浸っているのと同じことになる


ならば鈍感でお馬鹿なほうがよほど幸せなのだ



天国も地獄も自らが創りだす



自らの想念がどちらにウエイトを置くかである

ロマンかリアルか・・だ

 

人が集まり大衆になって

その大衆の想念がロマンティックに寄れば

必然的にこの世界は希望に満ち天国へと向かいはじめる


リアリストが多数を占めれば

皆がそれそれに違う自分基準の合理性を我先に主張し

譲らず、思い込み、信じ込み

どこからともなく抜け出せない排除の論理がはじまり

エンドレスの地獄へと向かうことになる




どす黒い現実に押し込まれ圧倒されて

その中に浸りながらいくら事実を分析し

さらに何度も精査して自ら信じる正当性を主張し

嫌なもを排除しても排除してもそこからは抜けられない


それを世界中あちこちでドンパチやっているのだから

これが永遠の地獄となる


そこから脱出したければしたいほど

絶対に抜けられなくなるカラクリの中にいる


リアルを見れば見るほど

絶対に外せない知恵の輪がさらに複雑に絡んでゆく


やがて人間同士の身勝手さが交差するこの世界に憤り、

疲れ果て、自分自身の存在を

自ら排除してしまう人だってたくさんいる





”すでに存在するものを排除してはいけない”

その視えない指令がどうやらここにはあるようだ





日々のしがらみの中

人間はなかなかそれができないでいる




なんの根拠もなく、誰かに言われたわけでもないが

この空気の中に

ただ何となく勝手にそう感じるだけだ・・





事実を変える扉は

現実の外から持ってきた鍵でなければ

開かないのかもしれない





もしも夢のほうに少しだけ多く重心を置いたとき

そのロマンはこの世から脱出させる可能性がある


実際に脱出するのではない

自分を取り巻く周りが変化するスイッチを押すのだろう


自分が何処かに移動したわけじゃない




やがて現実になり替わる鍵は

そのロマンの中にだけ存在するのかもしれない




夢のなかを冒険していたい

ただその夢は

少しずつ現実とリンクさせなければ意味がない




そうじゃなきゃ

ここは生きるに値しない空しいだけの不毛の星である




モーゼは遥か昔に

この不毛の大地でなにを見つけたのか?




まず先に夢を見て、

そして現実を見て、

その様をできる限り拒絶せず、排除せず

あえて肯定し寛容し

変化させるための冒険を愉しんでみれば

やがてその夢は現実に差し替わる


・・かもしれない




時に無意識のなかで

この世界の現実にばかり浸ってしまうことがある


足し算、引き算をして

さらに掛け算、割り算をしても

結局割り切れずモヤモヤして

それでとっても疲れてしまうことがある


途方に暮れて立ち尽くし、

ただただ傍観してしまうことがある




それは自らの勝手な合理性に無理やり事実を落とし込み

単なる小さなパラドックスに浸っているからかもしれない


現実の中でいくら綿密に試行錯誤しても

人間同士の身勝手さなど割り切れるはずもなく

負の連鎖をぐるぐる回るだけで絶対に埒が明かない


その先は諦めながら目先のものを無機質に対処し

週末になったらやっとこさ気を紛らするしかなくなるのだ


やがてストレスが溜まり、

ちっぽけなプライドらしきもので痩せ我慢して

自尊心のなかのくだらない優位性を競い

金属のメタルを掻き鳴らしライブ感に染まっている自分を

この社会の犠牲者だとかカッコつけて酔いしれながら

それが社会だ、大人だ、人生だと思い込んでいる

本物の馬鹿になる


アブナイ、アブナイ!




そんな時は意識して懐を広げ

大らかなロマンを取り戻したいものだ




変化させ進化させるのはいつだって

突拍子もない角度からものを発想するロマンティストだ






たまたまシナイ山の映像を見て、

遥か昔のモーゼに想い馳せ、

実話か作り話かわからないような伝説の神話を鑑み

現代に生き染まる自らを省みている




絶対的不可逆性の時間軸のなか

時を超えたモーゼからの指令か? 



な〜んてな!



これがロマンだ





ここは、


夢と現実のシーソーゲームで未来が決定される、想念の星


いい夢を見るための星


夢が現実に替わる星


その鍵を探す冒険の星











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posted by 真中 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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