2017年09月16日

逃げるは恥だが役に立つ


秋の虫もそろそろ鳴きはじめ、ずいぶん涼しくなった

虫たちはそれぞれが勝手に自らを主張しているようで

その不協和音は唯一無二の美しい音階を奏でる


今年は秋が長いのか?

そもそも夏が夏を出し切れていない夏であった

働いている時の夏が涼しいのは自分としてはありがたいが

遊んでいる旅行中までずっと雨で

避暑地は涼しいを通り越して寒いのだから

なんとも皮肉だ


”遊んでいる夏だけは暑くていいんだよ”

って天に向かって叫んだところで・・

なかなか思い通りにはゆかない



そう、

いつだって思い通りにはゆかないものだ



これはお天道様の動向だけではない

思惑の中の細かな謀もである



今まで生きてきて

思い通りにいったことが果たしてどれくらいあるのだろう?


そりゃあ、あらゆる場面を想像すれば

うまくいったことだってたくさんある

ただ比率としては圧倒的に思い通りにゆかなかった

これは自分だけなのか

他の人もそうなのかは計り知れないが・・


例えばそれをギャンブルに置き換えて

思い通りにいけば勝ち、いかなければ負けだとしたら

勝率は圧倒的に低い

おそらく惨敗の負け越しだ


最近ではそもそもいちいち思惑を持たなければいいのだ

なんて卑怯な抜け道まで発見してしまった


はじめからこうなって欲しい!

なんて求めてません、って・・


いや、少しニュアンスが違うな

求めているのだけれど、手配を尽くして

それでもならないのならそれはそれでいい

・・という雰囲気か?



要はどうでもいいのだ



しかし決して投げやりというわけではない

が、結局最後はどちらでもいい、という心境になる



しかしこれは単なる言い訳の逃げとも言える

かなり微妙だ



そう言えば自分の座右の銘は

”鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス”


信長でも秀吉でも家康でもない

by 松下幸之助である



ずいぶん前に

そうまだ若かりし日の自分の心に響いて

ずっと胸のどこかに仕舞って置いた言葉


事あるごとにその言葉を思い返し、その都度力みが抜けた



改めて考えてみればこれは逃げだろうか?



ある意味明確な逃げだろう

もう鳴かす努力もしなければ待ちも殺しもしないのだから


それは究極のガズ抜きであり、大いなる逃げである


ただ見つめて、その有様を自然の姿として受け入れる

それだけだ



しかし、なぜホトトギスは鳴かなければならないのか?

その価値は誰が決めているのか?

時の将軍か? 金正恩か? トランプか? 安倍総理か?

単なる世俗的な我欲の価値観に過ぎない



あるがまま、成すがまま

それでいいじゃないか?

すなわちどうでもいいとなる



人生は、ずっと受け入れる作業の繰り返しである



それを受け入れられないとき

人はもがき苦しむことになる



が、その苦しむ姿すら、それもまたよし・・

どうであれ元々ホトトギスも人も

生きていることで圧倒的な価値があるのだから



これは人類愛、生命愛としての大枠のはなし



ただいかんせん

人として生きていれば皆それぞれの目的も思惑もある

そこに向かうのは当然の作業となる



求めなければなにも実らない

しかし実らないことのほうが多いからもがき苦しむ

そしてときどき実る

実るまでやり続けるか、あっさりと引くかは

その題材による

生きるとは、ずっとそのジレンマのなかにいることだ



その過程で

世間一般の価値観に捲かれるほど無意味なことはない

特に日本人は大衆の価値観に捲かれやすいのだから



時にはそれにより平和を演出することもあるだろうが

それが人とうまくやってゆくための社会性というのなら

そんなものいらないかな?



それが大人だ社会だと思うのならあまりにも貧しすぎる

そのエネルギーは別に回した方がいい



だから世間大衆の価値観に浸ることから逃げる



誰もがそれぞれにオリジナルの価値観をはっきりと持てば

異質のものを別の個性として認められる

他人の思考を避けずに

それはそれとして、むしろwelcomeで受け入れられる


ただ自分はちょっと違うだけだと・・


その方が

圧倒的にクオリティーの高いコミュニケーションが得られ

熟成した大人達のドライな繋がりになれるはずである



いろいろな音色のする秋虫たちの不協和音は

バラバラのようで実は個々の音色が際立ち

誰も引かず出すぎず美しいハーモニーを奏でている



間もなく色ずく紅葉だって

違うのものたちが乱立して美しい調和を魅せるのだ



赤もあれば黄色もあり、相変わらず緑のヤツだっている

さらによく見れば

もっと細分化されたグラデーションを醸し出す

隣に違う色が突っ立っていたって排除しない

これがみんなで妥協した灰色になったら

それはさぞ気持ち悪い景色だろう



明確な自分がないゆえ人に合わせすり寄り

その割には裏で悪口を言っているような

不純で幼稚な社会性とは少々次元が違うのだ



それらは覚えたての下手クソな合奏団のように

どっかの先生に強制され統制されながら

弱々しく危うい音色を奏でるもの・・



結局精神的観念の自立ができないものが群れた場合

その群れから

異質のものを排除し差別する方向へと向かうものだ



弱いものはひたすら

その得体のしれない群れに引きずられる



弱いものがさらに弱いものを傷つけてゆく



この世の問題は

すべてそこからくると言っても過言ではない



逆にそれぞれの分野に精通し自立したオタク人間が協調し

たまたま歯車が合った場合

飛躍的な効果をもたらすことになる



違いこそが解放に向える調和の元

同じことは閉鎖に向う争いの元となるのだ



そもそもが同じであるわけがないのに

同じに見せかけるからやがて当然のごとく破綻するのだ



人間多くの場面で負けるものだ

逃げるべきポイントがたくさんある

おそらくその方が多いのではないか?



ただ数少ない、逃げてはならないポイントがある

自分の戦えるポイントはごくごく限られている



しかもそのポイントこそ

世間と戦う気で挑む者は不思議と負けるものだ


根本的に、戦うという発想や視点自体が貧困なのだ


数少ない自らの戦えるアイテムとは

好きであり、それに携われば楽しいはずで

スポーツでもない限り、戦う対象は他人じゃない


ずれた対象と戦った瞬間につまらなくなり

したがって本質が曇り

正常な自然からのエネルギーを受け取れなくなる

だからはじめから負け勝負をしているようなものになる



秋の虫だってただ自由に楽しく歌っているだけで

限りなくシンプルである



人間は常にややこしい

ずっと複雑怪奇だ

だからそのシンプルを見失いやすい



何から逃げて、何から逃げないのか

その主体を心して明確にしておかなければ踏み外す



そして数少ない逃げてはならないポイントを見つけたら

その一点からは死んでも逃げてはいけない



絶対に逃げないポイントを

自分の中にたった一点でも持ち合わせなければ

それ以外の数多くの逃げの理由が成立しなくなるのだ



逆に何からも逃げない人はカッコいいが

悪いがただの阿保だ



無駄なものにいちいち体当たりしてないで

さっさと逃げたほうがいいことはたくさんある



人間どこかで逃げちゃいけないような

思い込みと錯覚に駆られるもの

それは何の美学なんだろう?



ほんとはただ仲間外れになりたくないとか

どう思われたくないとか、どう見てほしいとかその類の

ぜんぶ人目を気にしたものではないの?

逃げないのではなく、逃げられないのではない?



自己保身のために・・



すなわちそれが精神的自立ができない者の姿である

魂的自立ができないと言うべきか・・



逃げるにも度胸と強さがいる

シンプルを守るには度胸と内面的成熟が必要だ

孤独になる覚悟と明確な意思がなければ逃げられない



関わりのなかその後に生じるリスクを

全部受け止める腹ができていなければそこへは行けない




いろいろな場面で

逃げることは世間の価値観では恥となるが

ならばあえて堂々と廻れ右

道のド真ん中を大手を振って逃げるのだ



皆さんどうぞお先に

私、逃げます!・・恥ですが、なにか?



顰蹙は買ってでも受けたいのですみません



その度胸があるか?



これが本当の

逃げるは恥だが役に立つ










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posted by 真中 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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