2016年10月19日


ずいぶん秋らしくなってきたね


やがて街路樹は色づき、それがはがれ落ちるまでは

まだしばらくの時がかかるだろう




今日、アポなしで

まだ若いギラギラした広告媒体の営業マンが来てね


それで時間があったから少し話してた




もう自信満々


好きな時間に来て言いたいことだけ喋りまわすところとか


今どきの俗に言うゆとり世代らしく

ずっと否定されずに大事に育てられたのだろう

常に自分が中心だ


見透かされてることもわからぬままに



”若いうちはそんなものさ”

なんて思わず年寄りみたいなことを言いそうになって

止めた



自分の幹すら見えてないで虚像の上塗り


粗削りな机上のデータばかり得意げに読み解いて

細分化されたリアルな実像はまったく見えてない


それを支えてる力は一種の宗教みたいなものだね


そう、”自分教” とでも言えばいいのか?



きっと誰もがあるウエイトで通過すること



本当の自分に虚像を盛る


例えば売りたい商品も過大評価してから

まずは自己暗示にかけ思い込み、信じ込み

それを我がエネルギーの源としながら他人に信じさせる


”もしかしたら自分の解釈は違うかも知れない”って

たった一度でも立ち戻ることができないのだ



人の役に立ちたいって・・君は言ったけれど

そんなカッコ良さげなこと軽はずみに言い放ってみれば

その大義で心が一時的に満たされるのだろう


その心が本心ならば、そのように伝わってきたはず


その器はまだ備わっていないこと

発する空気でわかってしまうよ



それがただ自分のための自分よがりだと気づくまでは

もうしばらくの時がかかるだろう



やがて虚像が実像に変わるまで

しばらくはハッタリで走ってみればいい



誰しもがそんなものだし

だいたいこの世は

多くの部分が虚像で埋め尽くされているのだから



ましてやネットの世界は虚像の塊

真実を見つけるのは至難の業



ただそのハッタリに本気で騙される人もたくさんいる


それでも本人は騙してるつもりはないのだから・・

自がこしらえた虚像を信じ込んでるのだから・・

なお厄介



ほんと危うい生きものだね



たとえばいい歳になたって

自己欺瞞の虚像をずっと信じてたりするのだからさ


歳を重ねればそれがなおさら頑なになったりして



人間は危うい

そんな危うい蜃気楼にしがみついてしまうもの



いったいどれだけの人が

自分の幹を、他人の幹を、

この世に起こりえる現象の幹を、

自我で思い込まずに正確に把握してるのだろうね



それくらい不確実だから、もしかして

みんな辛うじて飄々と生きてられるのかも、なんてな



夢見心地の虚像のなかで

ずっと歩けたなら幸せ


ずっと一生実像など知りたくもないさ


虚像同士だからうまくいくこともあるしね



ただ虚像は虚像だから

リアルな実像の結果を生みだせやしない



人生は夢の旅

誰もが虚像と実像を行ったり来たり



そして最後には隠しようもないその実像を

我が結論として受け入れてゆくための旅路



ただその道の途中で

もしも現実に疲れたとき、虚像の世界を夢想するものだ


もしくは意気揚々とした若者達は

虚像の夢のなかで過ごす時間が長いもの・・


やがて夢が実像に変わる人もいれば

どこまでも夢のなかで浸り続ける人もいる




もしかしたらそれはとても素敵なことかもしれない


もしかしたらそれだから

人間やってられるのかもしれない・・




本当の幹が見えるまで

この先どれくらい着飾っては枯れゆく枝葉を

傷つきながら見送らなきゃならないんだろう?



痛いねぇ、・・寒いねぇ



本物の幹が現れることが

どれだけ美しく

そしてどれだけ残酷なことかもわからぬままに・・




巡りめく、この秋の景色みたいにさ










ss-2009081021004045665[1].jpg





IMG_0716.JPG

我が家より、早朝5:30の朝焼け













posted by 真中 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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