2016年02月11日

永遠の直線


1+1=2

3+3=4


・・解ってるよ、そんなの


二個目の数式は違うでしょ


でもその違いを責めるのは人なのね

そこには違うと指摘するだけの理由があるのだから




不思議だよ

そういう世の中であることが・・




白い紙の上に直線を引けと言われれば誰でも引けるよね

でもその直線には必ずはじめと終わりがある



直線という概念は無限に果てしない直線のことで

両端が切れていればもはや違うのだから


誰ひとり紙の上に“永遠の直線”を描くことはできない





だからさ

その両端の切れた直線を

直線ということでみんなが納得すれば

それはもう直線ということになるのね



多数決、民主主義の原理で・・



要は人が集まり皆で決定すれば

偽物も本当のこととしてまかり通るということ



数も直線も大昔に人間が編み出したもの

ということになっているけれど

それは違うと想うんだ



実は人が存在するもっともっと前から

この大地にあったもの




馬鹿だと言われるかもしれないけど

自分はそう想うよ




そしてその扱い方とか定義のし方も

人がこしらえたものにみえるけれど

本当は超自然なことなのさ



決して人間には編み出すことができないもの



元々そこにある数字の配列と直線の概念を

人はただ発見しただけなの




だからさ

そういう風に進む世の中だということ





いいこと、わるいこと

幸せ、不幸せ





人間という“なまもの”をあらためて視たときに


人という超自然な生物としての存在と

人の頭のなかの思考が醸しだす

不自然な決めごとがあって


まずはその一体のように見える二者が

空気的に大きく隔たるということ




そしてどちらかといえば

頭の中の不自然な決めごとのパワーのほうが強く

人はそれにとらわれ過ぎてしまうもの




それがこの不連続な世の中を生み出してしまう

元になっている




人がこしらえた決めごとなど

そもそも四方八方から多面的に視てみれば

辻褄が合うわけないでしょ



そこには個々に異なる

価値感と我欲と思惑が絡みつくのだから





数はもともとあって、直線も曲線もすでにあった





1と自分以外では割り切れない純血の“素数”とか

6や28のようなその約数をすべて足すと

元の数字になる“完全数”の美しさに魅せられ

数式を愛してしまった数学者は多々いるけれど




では“1”が何たるかを明確に答えられる人はいないのさ


“1”はただ“1”だというだけ




奇数における1500桁以下の完全数は存在しないらしく

それを紐解くのは大変な労力だっただろうけれど

どれもただ数字配列の意味を

数学者が解明しているだけなのさ



人間はそれを紐解くしかできないし

それを利用することしかできない立ち位置だということ



すべてのことは

そもそも人間様が編み出したわけじゃないのだから




だからさ、

元々ある自然構造以外で

人が不自然な思惑のなかで決めたものとか

正解と思い込んでいることなど

しょせん突っ込めばみな辻褄が合わなくなるということ


そんな危ういものを、人はどうしても

理屈をつけて正解だと言い切りたいだけなの




ベッキーも清原も、スマップも、乙武さんも

思惑だらけの国会答弁から、青二才の育休議員の不倫やら

北のミサイル打ち上げとか、金欲で乱高下する株価まで



みんな個々の思惑で好きなように動いたあと

もともと必然的に裏表のある人間の本質が

たまたま表層に現れた結果で

それを外野がいいとか悪いとか言ってるだけ



誰の身近にもあるでしょ?

そういう単なる人間らしい身勝手な鬩ぎ合いが・・



要はみんなが身勝手で、みんなが自己中心的で

みんなが矛盾してる


同じものでも立ち位置が違えば違う色に見えるのだし

それを正論ぶいて外野から責めるけれど

その責め立てる側だって

別の場所でさんざん矛盾したことやってたりするの



それがエスカレートすればすなわち

争いとなり戦争までいってしまうこともある



ぐうの音もでないような超自然界の素数の法則や

完全数のようにダイヤモンドくらい強固な炭素原子配列の

その隙間には

たかだか偉そうに振る舞うだけの自分よがりな人間様など

とても入り込めないのさ




でもひとたび人がこしらえた隙間だらけの連立方程式に

それぞれの生活を組み込んでみれば

いくらでも抜け道はあるのね




人間は・・人間に都合よくこしらえた

たかだかその程度の仕組みに惑わされ過ぎてると想うんだ




人ってさ

厳しいよねぇ




なにか決めなきゃ先に進めないし

決めれば決めたで辻褄が合わなくなるのだから・・



なのにみんなで矛盾を責めたがる

いいとは言わないが矛盾していて当たり前なのにね


そうやって責めてる側も

やがて責められる矛盾の揺り籠の中です




不思議だよ

そういう原理の世のなかであることが・・




でももしも、その不整合に映るものすら

自然界のなかでは実はすでに計算ずみで

整合していることだとすれば



それはもはや神様の仕業

ってことにしておきたい



それってもう構造上、システム上の問題でさ

ぜんぜん人のせいじゃないよね


そこには人間がもっともっと高度にならなければ

紐解けないカラクリがありそうだし・・



だから細かいことなんか知らないが

ただ楽しくやりたいと思うのは当たり前だし

ときには怠けたくもなるし、頑張りたくないときもある

そんなの普通でとっても正常なことに視える


だって確かなことはなにも解らないんだから・・





たとえばかりに“神”という存在がいたとして

その方が自分の目の前に現れたとしたら


言ってやりたいことがある





“あなたはずいぶん難しい次元を創りましたね”

“それ、あなたの暇つぶしのゲームですか?”


”ゲームの中の人間という駒は

みんな苦しんじゃってますよ!"

"そんなもん創って愉しいんですか?"


”それで、そのゲームは結局どうなれば勝ちなんです? ”

"勝たせてあげるからカラクリを教えて下さい” 

”こっちだって何度も何度も生まれ替わらされて

 いつまでも遊ばれたくないので・・”


”もしくはさっさと負けて

ゲームオーバーにしてもらえません?"


ってね



でもそうやって何かのせいにしちゃいけないんでしょ


人の思考回路は二通り

潜在的なものと、後発的に構築されたもの


その“人の思考のなかの潜在的な決めごと”

すなわち元々人間など及びもつかない

超自然のなかでプログラムされてしまっている

人間という“いきもの”の思考回路では


そう、”誰かのせいにしちゃいけない”

ってルールチップがすでにインプットされているのだから



それは人間が長い長い年月を経て

経験値のなかで編み出した道徳観のようにみえるけれど

違うよ


人が存在するずっとずっと前から

この大地に元々とっくにあった波動のようなもの



神様ゲームのルール規約の一つ



たとえば大地に種を撒いて、やがて芽を出し

それが何になるかは努力次第・・なんてことはない

松なら松、桜は桜、松が努力すれば桜になることはない


人はすでにある種を地面に撒くことはできるけれど

その植物の種自体をゼロからつくりだすことはできない

超小型の種の中にプログラミングされた情報と

水を撒けば殻を破り発芽して

やがて大きく成長してゆくそのシステム自体を・・


猫が頑張れば人間になることもないし

猫の頭脳が数式を知ることもない


猫は素直に猫になり

元々この大地の中に猫になる情報がなにもなければ

猫はそもそも存在していないのさ

しかも個々の性格は違えど猫という概念を外す猫はいない

猫なのに数式を解き

人の言葉をペラペラ喋れる猫はいないでしょ


そして人は素直に人となった

その卓越した頭脳ですでに地上に埋もれている情報を

徐々に紐解ける能力を最初から備えつけられていた



何者かによって・・



今存在するすべてのものはそもそも

そのニュアンスが発見できるように

ずっとずっと前から

とっくにこの大地とこの空の間にあった


それをまるで人間が創りだしたと

人間が0を1に変えたと錯覚してるだけだよ


もともとそこに1があって

それをただ拾っただけなのにね







そして1とは何か?

1とは ”はじめから存在すること”

だとすれば




それをどう視るかが


楽観と悲観の

作用と反作用の

幸せと不幸せの境目となるのでは?




存在した時点で

右と左、上と下、前と後、表と裏があって

そうやってすべてのものが相反することに囲まれる



そして好き嫌いがあり

許容と拒絶があり

光と陰があり

楽と苦しみがある




存在することを前提とするこの世の原理では

何につけ一々そういう風に仕組まれ

それが前後上下左右に有限の幅をもたらす空間を創りだす


右だけでも前だけでも上だけでも

片側だけでは空間は創れない


あとはその幅が大きいか小さいか・・という話だけ

人の器の大小もそこからくる



そのために人はせっせせっせと苦を克服しながら

無意識の中で自らの幅をつけようとする

それやるとゲームのポイントが加算されるらしいよ

もしかしたらボーナスポイントまであるかもよ?

なんて脳の奥から誰かが囁くのだから・・



でもそんなこと言われてもそうもいかないのが人情

それが上手くできたら世話ないのだ



そこには関わりのなか

人間の複雑な感情や思惑が入り乱れるのだから



人の抱く願望と現実には大きく差があり

やがてストレスとなり誰だってもがきはじめる



じゃ、その上手くいかないことを

怠慢だとか、甘えだとか言いながら責められるか?


甘え、怠慢、屁理屈、

自分を正当化しながら

都合が悪くなれば話をすり替えるのも

みんな弱さゆえ


とても責められるものじゃない


責めたところでどの道受け止められない・・弱さゆえに



それでも皆それぞれのしがらみのなか

自分なりに戦ってるのだ

誰もが問題は違えど同じようなジレンマと対峙してる



そのとき人間は

理詰めのように根本的な解決をするよりも

その場しのぎの優しさに救われるものだ


人の心はそういう方へ振れてゆくもの


いいとか悪いとかのフィルターにかけることより

その場その場でただ安心したい


誰しもみんな不安で心細いのだから・・




人ってさ

なんでも自分でやれてると想い過ぎなんじゃないかな?

自分の意思でこの心蔵すら動かせないくせに・・



辻褄が合わなくなって、自分で自分を追い詰めて

どうにかしようとし過ぎてまた空回りする



やがて人間はあえて破滅の方向に向かうこと

そこまで神様は読み切れてたのかな?


その極地にこそロマンと快感を見出してしまう領域を・・


もともと超自然からはじまった人間の超変質をさ

正常細胞をいじり回せば癌細胞に変わるってことを


だってそこまで壊れなきゃ

あんなに殺しあえるわけない


そこに何かしらの快感がないかぎりね

それを大昔から繰り返して、おそらくこの先もそう



苦しみが集まり

やがてそれらが怒涛を組んだとき

快楽へと変質する



人間をここまで苦しめれば

それは残念ながら必然の変質であるってことをさ



神様解っててやってんの?



あなたにすがって、あなたを拝み

それでたまに自分だけ助けてもらったような気になって

有り難がってるような意地らしい人間たちが

なんか勘違いして終いには殺し合い


あなたが仮に本当の神様だとしても

みんなあなたのこと

自分に都合のいいように捉えてる結果だよ



それすら高度に仕組まれた

難解神様ゲームのお楽しみたっだら


・・笑える



もうあなたにはかないませんね



でもあなたに向かって手を合わせ

拝みたおしながらひれ伏すようなことはしたくない


私はあなたにすがるつもりなどさらさらない

たかだか人間が都合よくこしらえた神なんかにね





いつしか気づいたことがある





全ては失われるためにはじめから存在するのだと

すなわち消滅させるために製造されることが前提なんだと



国家、民族、宗教、政治、差別、労働、経済、戦争、

サディズム、病気、犯罪、愛、SEX、死、文化、芸術、

運命、学問、思想、教育、環境、資源、食料、etc・・


人が直面する題材の全てを

一緒くたにして語ることはできないけれど


ただみんな表面に視えていることは

偽りや、まやかしばかり


本当のことは幾重にも重なる表層のバリヤを剥ぎ取った

裏の裏のまた裏の深いところに隠れている



そしてこの世は一部の狂人が動かしているということ

その狂人は決して表に顔をださない強欲のブラックホール



思想、正義、主義、国益、人民運動、領土問題、宗教観念

表面に見える紛争の元は幾つもあるけれど

単なるビジネスでその背中を押され

戦争が起き革命が起き

世界が踊り、世界が揺れている



国が動くとき、情勢が動くとき

目の前に見えている大部分は、巧妙に仕組まれ

ストーリーをすり替えられたお伽話に洗脳される


真実はいつでも相反する空間のなか・・


簡単には姿を見せない複雑に錯誤した裏空間

その逆説のパラドックスのなかにある


表があり、裏がある

正義があり、悪がある


悪に対抗する、正義があり

正義に対抗する、悪がある


そして相反する別のものに見えるその両者は

実は一体であるということ


人々の心理とは


正義であれ悪であれ

愛であれ憎しみであれ


同じ空間のものを違うものとして認識する

または同じはずがない・・そう思いたい

脳構造のなかの癖がある


その片側の空間だけに執着し崇拝してゆくもの



そこに対立させるためのトラップ(罠)が生まれる



その人間の本質を

完全に把握し巧妙に支配する


ただの人間がいる




人間が人間である限り


複雑な知恵の輪のような

このパラドックスからは抜けられない




表はいつも裏に支配される




人の真理とは

裏社会があることは予測しつつ

基本的には順目で動いていると信じるもの


そこに圧倒的な逆目の存在意義が生まれる


実相は裏がすべてを仕切っているということ



そして自然界や宇宙には1μ(ミクロン)の狂いもなく

ただ人だけがどこまでも矛盾し自然の摂理を無視して

人間の思い込みと傲慢が上回るからおかしくなる・・

みたいな話になり勝ちだけど


本当はその傲慢や強欲や弱さの反動すら自然そのもの



この世の人間がつくりだす問題はすべて

解らないことの不安からくる反動なのだから



誰もが上手にバランスをとってるように振舞うけれど

本音では、自分たちだけは救われたいって・・


誰でも安全地帯にいれば表向きは明るく楽しく

みんな仲良く誰もが幸せであることを願うって

お約束の綺麗ごとをさんざん言えるけれど


いざ窮地になれば

他の者より自分の安泰だけは確保したい

その本性から身勝手な陣取り合戦がはじまり

争いへと移行する




この世の構造のなかに存在するかぎり

それもう・・責められないから




それなら私はネピア数に1を足して0になることを選ぶ


eπi+1=0


すなわち“無”です


無の中にのみ”無限”が形成され

”永遠の直線”が描けるスペースが生まれる



それはすべてが有限のこの地上ではない

無限の宇宙空間で


大地からちょっと目線を上げれば

いつでもそこに広がっているもの





永遠に割り切れないネイピアに

あなたの創った”有”の世界である1を足して、無と成す



皮肉なものですね

でも美しい数式ですね



これで1の世を創りあげた胡散臭いあなたの

お遊びを止められる


・・かも知れない



アシカラズ!






エピローグ//


この物語はフィクションです。

登場する神様は架空のものです。


なんてな


この物語もやがて辻褄が合わなくなる

人間の頭の中の一つの思考です


フィクションとノンフィクションも

相反する世界を重ねながら空間を形成し

どちらが現実でどちらが夢だか解らなくなる


それを徐々に大きく膨らませながら

必然的に地球を前進させる



巧妙ですね、神様!



その得体のしれないものを神として崇め

ただひたすら心の拠り所として信仰している人を

汚したりケチをつけるつもりはありません



信仰というものの持つ本来の精神性のなかには

人が生きるうえで必要なものがたくさんあるのだろう



でもこの世に蔓延する信仰の多くは偽物に視える

というか、光りが屈折してしまっているものばかり



人が怒涛を組んだ瞬間に

初めはピュアだったものも微妙にズレはじめ

やがてぜんぜん違う姿に変質するもの



それは、人は綺麗で透明なことが大好きな反面

本当は自らがそんなに単純じゃなく

中心線が決して綺麗ではないところからくる



その裏には”神”とかいうただの”人間”がいる

正確に言えば偽物の神が多すぎる

本物の神がどこかに存在することを前提とすれば・・



もしも本物の神がいるとすれば

もうすでに守ってるよ

境遇はどうあれ生きてられるだけで・・存在してるだけで


神の話とかしたいのなら

それくらいにしとけばいいんじゃないの?

それ以上求めるならその先は自分がやることだから


人は残念ながらただただ地道に努力することが前提で

努力なくして・・なにもない


他の力でひとっ飛びできない



ならば自分で自分を救うしかないじゃない?



まずは自分で自分に深いところで感謝してあげたらどう?

いつも頑張ってくれているその自分に対してさ



それを深いところできっちり行ったら

その振り子は同じだけ必ず反動する



単に幅の反動だけじゃない

重量も同様に反動する



自分が重ければ人にも重きを置ける



誰かを本当に大切にできるし

誰かに本気で感謝できる



本当なら本当が返り

嘘なら嘘が返る



自分が軽ければ人も軽視する



その本当が反動したあとなら

誰かのために少しくらい何かできるかも知れない



やがていい香りのするなにかが連鎖すると想うよ

その直線の先に・・



世界の人々の一人一人がきっちり自分を救えていたら

もっとこの世は変わるのだろうね



それはこの自然とかこの宇宙と

完全にぴったりと整合していることだから


必ず辻褄が合う

ダイヤモンド炭素原子配列くらい隙間なくピッタリと・・


この世のなかで数少ない辻褄が合うこと




そして相反する辻褄の合わないこと

それは

この厄介な人間という生きものの想念が創りだすもの


それすら実は自然そのものの本質で

自然はいつでも片側に立たず全てを共有する受け皿



人の思考はどこまでも片側に立ち

ある思考を抱いた瞬間にもう片側なんだよ


でもその辻褄の合わないことを失くしたとしたら

人間は先に進めなくなるし

存在する理由もなくなるだろうね




世界では細かな時間差で揉め事が起き、争いがはじまり

調和や友好や愛も同じように細かな時間差で出現する



そのキリがない時間のずれと

起点の定まらない相反する相対性を

もしも解消したいのなら



すべてのことは

無重力真空中を走る光に乗りながら

相対速度を同じにして

時間を消さなければ解決しないかもな


難しい特殊相対性理論とかつかって・・


だったら地球号の重力を抜いて

光速の宇宙船にするしかない

今の地球の速度じゃ遅すぎる〜ぅ!・・だって



この次元においてそれをやるには

電波時計で大気中の電波移動の誤差まで精密に計算して

時を合わせたら一斉にモーションをかけるか



世界のすべての人間が誰ひとり反発せず

なんにも疑わずに

イッセーノ、セッ!! って、

精密に計ったその時間にピッタリ

自分と自分以外のすべてを受け入れ

愛し、楽しみ、喜べば

地上は一定の波長に包まれてこの地球の重力は消える


・・かもな




その時、有限は無限に吸収されて

地球は高次元へと移行する




そこにもう、神はいらない


そこにもう、人もいらない


そこにはもう、何の存在もいらない


存在する理由がなくなるのだから・・




太陽はその巨大な重力と

核融合で生み出され

外へ外へ放出しようとするその巨大なエネルギーとが

互いに戦いながら差し引きのバランスをとり

それを維持し存在できている



E = mc2

質量とエネルギーは等価である



その危ういバランスが崩れれば破裂して消滅する

関わるすべてを捲き込みながら・・



太陽光が地球に到達する時間は8分

今見ている太陽の光は8分前のもの

光速でも8分かかる距離にあるということ


そこに距離と時間とエネルギー量の関係がある




存在とは

それくらい微妙なバランスのなかで成り立っているもの


これが10分の距離なら生命は存在できない

もしくは存在したとしても

ここまで進化した姿にはなれなかっただろうね




この世で人を苦しめるものの正体は


不安と、時差と、相対性

そしてそれらから生まれる”大いなる矛盾”である

と想う


でもそれがなければ世界は静止する


その重い重力のような苦しみの源こそが動力をつくりだす

というバランスのなかにある



その法則下ではすべてが微妙で、すべてが曖昧で

竹を割ったように白黒つく話ができないのは

両サイドの幅を維持するバランスで成り立っているからだ


だから白であれ、黒であれ

片側に寄った瞬間に人間の苦悩はスタートする


では真ん中でヤジロベーになりながら静止すればいいのか?


この動の世界では停滞は死を意味する


すべては動きながら右に行き左に行き、上に行き下に行き

苦痛を伴いながら徐々に空間の距離感を把握して

最後にはその空間の全体像を受け入れなければならない



だからすべての事象に対し一つ一つ

練って熟成させるという徒労感の伴う作業が必要になる


その未知の空間を広げようと体当たりしない者は

必然的に世界が狭くなる


すべては苦しみを伴いながら”動く”ことで

生命の価値が生まれる




やがて人は疲れ果て、防御し、優しさを知るのだけど

ここには奪うための優しさが多すぎるから・・



バリヤを張りながら自分を守ってるだけの人が

近いものを同じように守って

そのごく当たり前のように見えることが

残念ながら空が狭すぎて


やがて時の経過とともにその反動で奪い合うようになる



自分を救えず守ってる人が

やがて人から奪うのだからね



救うのと守るのは似ているけれど、別空間だから・・

ややこしいけどそういうことだ



狭いところで自分の大切なものだけに執着すれば

人は必ず屈折する



狭い視点からの自己満足の愛は空回りする



そのあとはとうとう

守っているもの同士で奪い合うようになる



恋愛も、親子も、夫婦も、友達も

または会社や民族や国同士だって同じこと


地球儀を高速で回して

世界を1,000周旅行してみても・・


そのジレンマからは抜けられない


愛を語る人は多いけれど

”愛”を実践するのはそんなに容易いことじゃない


そこには相手のために自らを犠牲にできるか?

という踏み絵がある


必ず自己犠牲の”覚悟”が問われるのだから


そのパラドックスのなかにかろうじて存在する

透明な水の湧きだす泉は自らが探しだすしかない




だからさ

そういうふうに進む世のなか




ーーー





そして・・


このように真理めいたことを言う人間に限って




・・眉唾ものだ





まさにこの真理めいた物語を、この片側の思考を

この逆説のパラドックスを



・・どう視るか




この複雑な世のなかで

自分の心眼を啓いてすべてを見極めるしかない





いつの日か

奪う人から与える人に変われるように





この世に蔓延する駆け引きばかりの偽物の優しさから

本物の優しさに変わるように





できることならこの自然みたいに大きな空間になって

人の犯す間違いや過ちすら最後には許し愛せるように





この有限の世のなかで

辛いときはときどき空を見上げて

背中に無限をいっぱい吸いこんだら
 


長いようでほんのわずかなこの道のりを

できるだけ笑って歩けるように・・




相変わらず時は流れ

相変わらず物質は消えてゆく




やがて人は悔いながら最期を迎える

その最期の瞬間に悔いがなければそれはラッキーだ



でもそんなことどちらでもいいのさ

そんなに巧く生きられるわけないのだから



ただ生きて・・ただ死ぬ



それを実行するだけでも大したも

凄いことなのだ



どうあれその生命を振り絞って生きたのなら

その人生には価値がある






ただ最期には


”ごめん” じゃなく ”ありがとう” って言えるように



それでいいだろ






この世において多くの人が

真っ直ぐな直線に乗りながら

数少ない真実にたどり着けるように・・



そしてこの地上から飛ばす永遠の直線が

遥かなる宇宙のずっとずっと奥にある

正真正銘

”本物のエネルギー体”まで到達することを願って・・








まもなくアガペが恵比寿に移転して2年

株式会社アガペを設立して15年



久しぶりに長いブログ

書いてみた





THE END








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posted by 真中 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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