2017年08月18日

細胞の認識


72回目の終戦記念日も過ぎ

戦争の記憶もこの国から風化しつつある


改めてゆっくりと戦争体験者の話を聞いてみた

NHKアーカイブ戦争証言

下にURLをアップしておきます


今だからこそ、時間をかけじっくり拝聴するべき

リアルな証言の数々


インドネシア、フィリピン、サイパン、テニアン、

中国、特攻隊、海戦、他

当時各地で繰り広げられた戦闘を

日本人が実際に見た本当の戦争のリアルな体験談である


証言者の誰もがどう見ても善良な人間達だ

その善良な人達が洗脳され戦争へと突き動かされてゆく


洗脳とは思考を単純化して

時に単調なワードを連呼させながら信じ込ませること


戦争とは何なのか?

大衆とは、国家とは、権力とは、思想とは、生死とは

そして人間って、運命って何なのか?


皆愛する者がいて

そして不本意に何かの力により突き動かされ・・


その偶像劇を美化する人もいる

人間は基本的に愚かな生きものである




それぞれの利己的な愛を戦わせ戦争へと発展する

すなわち争いの元は愛とも言える


小さな愛か? 大きな愛か?

愛の大きさで結果が変わる




現代を鑑みてみれば、各国、各組織の思考回路が

あまりにも単純化しているように視える

その単純化は一種の洗脳に直結することがある


単細胞人間が権力を持ち国家や一定の組織を支配すると

人の世はいつだって危うくなるのだ


したがって

時が経過し色褪せても人間の過ちの構造を忘れぬよう

語り継がれるように

ずっとリアルを意識し丁寧に練り続ける必要がある


人は嫌なことは忘れてしまうのだから

世代が替わればなおさら色褪せるのは当然である


それが人間ゆえの宿命のトラップとなる


ましてや

”戦争反対” のワードだけが一人歩きする時代

誰だって戦争反対には違いないが

そこにはもはやリアルは感じ取れず

デジタル社会の中のありふれた

一つのCMキャッチコピーに過ぎない


戦争を知らない我々は

"殺し合いの戦争がいいわけがないから絶対反対!" って

それくらいの表面上

頭脳の先っぽだけの認識でこと足りるのでしょうか?



” 戦争反対! 世界に愛を! 平和を! " と

ただ漠然と偽善者的ワードを連呼し頭で唱えるよりも

まずは実際に過去にあった戦争の生きた証言を拝聴し

当時の実際の肌感覚を、二次的、三次的、四次的に

幾層にもこの細胞にすり込んでゆく作業が必要になる




頭脳で認識するか、細胞で認識するか


人は皆頭脳に頼るが

人間の頭脳で認識したことは

いつだってズレが生じ、立ち位置により変わりやすく

つねに危険をはらむのだから・・












NHK戦争証言

http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/list.cgi
















posted by 真中 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月23日

成功と失敗と幸せな人と不幸な人


例えばお金持ちになった成功者が

一転貧乏に転落すれば不幸になってしまうものだ


例えばフィールドで活躍していたプロ野球選手が

戦力外通告を受ければ当然落ち込んでしまうもの


はたまた全財産をつぎ込み願かけして挑んだ事業が

あえなく崩壊すれば、もう立ち直れない気分になる


さらには浮気だ不倫だと罵り合い

全エネルギーを使い果たし萎んでしまうこともある


成功、失敗、幸運や不運はいろいろな形で訪れる



不運やら、単なる力不足の失敗ならば

その時はまたやり直すだけさ



ただそれだけで

それ以上もそれ以下もない



人は自分で自分を不幸にする



誰かになにかをやられたような気になりながら

自分で不幸のレッテルを貼り

その不幸の暗示を自らにかけてしまう


自らの力不足をまざまざと見せつけられたり

関わりの中で傷つけ合うことは誰にだってあるけれど

その先の自分の心を落としてゆくのは結局自分自身なのだ



人はそうやって心が一度ロックしたものから

もうなかなか抜けられなくなる



だからどうせロックして抜けられなくなるのなら

”何があろうが自分はいつでも絶対に幸運である”

そう自らに強い暗示をかけロックしてしまえばいい



成功の形は人それぞれでいろいろあるだろうが

人生の真の成功者とは



どうなろうが、どちらに転ぼうが

そのゆらゆらと揺れ続ける心もひっくるめて愉しみ

良きにつけ悪しきにつけ特にこだわらず

そもそも生きているだけで

わくわくとした幸せを感じられる

その心境地に至ることかもしれない



それはたとえばルンペンであろうとなりうるし

大富豪であろうとなりえないこと



限りなくシンプルで単純な話だが

人は良い時も悪い時も

幸せの高揚にしがみつき、または不幸の消沈を恨み嫌い

一々その心の有り様に執着し囚われてしまうから

そのシンプルを実行するのはとても難しくなってしまう



大地を渡る風のように

綺麗な山も湖も

ごみごみと我欲の渦巻くこの街も

汚物の集うドブ川を渡ろうとも


ケセラセラさ・・



人生はパラドックスである



思い込みのトラップにはまってしまえば

抜けられなくなる錯覚の夢物語にすぎない


皆がそれぞれに自ら仕掛けた想念の時空を生き

正義だ悪だ、幸福だ不幸だとそれぞれが錯覚する


そして自らが思い込んだその錯覚の世界に

自分を縛りつけずっと生きてゆくのだ


その裏側には

とてつもなく大きな実相世界が流れているのに・・


実像は、

どうにでも変化できる、果てしなく広い流動の世界であり

その世界は一秒たりとも立ち止まらず常に形を変えてゆく


人の心だけが良い時も、悪い時も立ち止まり

その場所に執着してしまう


終いには死んでからも

未練たらたらどこまでも念を残す者までいる始末


どこまでも自分を一丁目一番地に置き

自らの正当性を主張するのが人間という生きものである


だだっ広い荒野に

小さくて狭い虚像のパラドックスをこしらえ

まるでそれが世界のすべてであるかのように思い込み

自らを縛りつけ、身動きが取れなくしているのは

紛れもなく自分自身となる



どうせ夢ならいい夢を見たほうがいい



だって人生は

たかだかたった一度っきりの夢物語なのだから・・



せき止められた湖は必ず濁るのだから

現象に囚われその想いの水を止めてしまわない限り

また次々変化して

面白いことがどんどん勝手にやってくるさ





失敗せぬよう自然の風を遮って

ビクビクと這いずりながら安全地帯にしがみつき

少しばかり成功すれば高揚し調子に乗って大顔を晒し

海辺のテラスでクリュッグを呑みほし反りかえっては


ひとたび失敗してしまえば被害妄想にまみれ

今度は恥ずかしそうに人目を避けながら

いちいち不幸な顔をしているような夢を見るより



どこへ向かうかもわからない乱高下する風に乗り

美しい山頂や谷を吹き抜け

色とりどりの花の咲き乱れる野原を駆け巡り

マーマレードとカフェオレのいい薫りのする

都会の路地裏で急カーブして

時にどす黒く悪臭漂うドブ川の上を渡ろうとも

後腐れせず立ち止まらずどこまでも走りぬける


その旅すがら何に出逢って楽しすぎて悲しすぎても

ワクワクした心のままで、またその先を求め

吹いてくる風に身をゆだねながら

自由に空を舞う夢のほうが・・


素敵・・。











DSC_1574.JPG

真夏の日光、中禅寺湖と男体山にて













posted by 真中 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月12日

被害者は加害者・いい人はわるい人


いよいよと言うのか、とうとうと言うか

ともかく暑くてむさ苦しい真夏がやってきた

自分としては苦手な季節の到来


しかも最近の夏は期間が長すぎやしないか?

6月から10月初旬まで丸4カ月ちょっとは暑い暑い日が続く

一年の3分の1だ

季節は4つあるのに・・計算が合わない

昔はそんなだったっけ?

そりゃ、春も秋も少しづつ肩身が狭くなるってものだ


このむさ苦しい夏に限ってむさ苦しいニュースが

入道雲のようにどんどん自然発生し

やがて雷雨となり猛威を振るい、もう手に負えない



おばはん達の熱い夏!!

まぁ、おっさん達も負けてはいないが

・・特におばはんが目立つ今日この頃


もう笑うしかない


秘書を罵倒しながら程度の低い誹謗中傷をし

または単なる離婚騒ぎの恨み節を

ネチネチとネットでぶちまけ

どこぞの落選議員は

誰かさんが脇が甘いから私は落ちたと・・


みんな自の非を認めない

自分は一切悪くないのだから、おめでたくてとても稚拙だ


冷静に視てみれば皆何かに依存して

結果が得られないから逆ギレしているだけで

自らの幼稚さを露呈しているにすぎない

彼らには決まってその強烈な自我を反省する感性がない


ただ単に依存心が強すぎるのだろう


依存心が強い者は思い通りの結果に成らなかったとき

逆ギレする・・ことが多い



この種は今や議員や芸能人に限らず

街のあちこちに潜伏する

ほんとうにむさ苦しい時代になった



物事を俯瞰して視ずバランス感覚を欠いた

自己中人間は確実に増えているようで

彼らは大抵外面が良く

そのわりには人の意見は聞き入れないのが特徴である


小さな考えに囚われた者は自の考えがいつでも正しくなる

平たく言えばキャパが狭いのだ


すなわちそれを侵されると逆ギレする

まるでストーカーの心理に類似する


その数が多くなればこの世相も

もはやみんなで渡れば怖くない状態となり

根本的な想念の気候変動を巻き起こすことになる


刑事事件でもない限り

民事上のちまたの戯れ事で被害者と主張する者は

断片的に視るのではなく

時間軸をずっと前から通して視てみれば

実は加害者の要素を兼ね備える


被害者になるべく相手への危害の種を

少しづつ知らぬ間に

自らが撒き散らしてきたのではないか?

しかし当人はそんなつもりはないのが常で

それが自分中心でしか考えていない証しとなる


その一切を棚に上げ一番最後に被害者になったとき

結末の断片だけを強調して

すべてが被害者のような顔をする


タマゴが先か? ニワトリが先か?


その総体を加味して考えれば

傷つきながらも少しは謙虚になれそうなものだ


そしてとかく

いい人は、わるい人だ


断片的に自分にとっていい人は

時間軸を長期で、そして大きく多角的に視てみれば

結局は自分にとってわるい人になることがある


そしてその逆パターンもある




道理を理解せずに近々の断片だけを切り取って

白黒判断し、思い込み、人を責め立ててしまえば

回り回って最終的にはまた自らに負が返ってくる


その負の連鎖を想像できないのならもう仕方ない・・


豪雨、雷雨、暴風雨は枯れるまで降らすしかないが

枯れ果てたときみじめになるのは結局自分となる


”千と千尋の神隠し” に登場する ”顔なし” が

吞み込んだ汚物を吐き出し枯れ果てた後

力なくトボトボと歩いていた姿を連想させる



この暑い夏が伸びてしまったワケは

こういうむさ苦しい世相により連鎖するの

・・かもしれない



人間の想念と、気候や天変地異は連動する

まさしく残念な都市伝説である



そしてこんなに愚痴っぽくて

聞いてる側も更に暑くなるようなことを

わざわざ発信しなくともよいのだけれど

それでも発信してしまうのは


ぜんぶ、暑さのせいさ!!


暑さはそういう負を連鎖させる


狂気的に怒鳴りまくるヒステリー議員とか

貞子みたいにテレビの枠から乗り出してきそうな

とある女優の怨念ビデオを見てしまってから


・・どうもおかいい


あれが単なる新しいホラードラマの段階的番宣だったら

センスを感じられたのに・・


いい加減テレビ局も流さない方がいい

負の空気を撒き散らしてるからもうやめようよ!!


それを面白がって総力を挙げ彼女の居場所を調べたり

テレビのワイドショーもくだらないし

ツイッターやFBでフォローする方もどうかと思う


そしてフォロー数が増え家族が増えたとか喜びながら

さらにパワーアップしてる本人も


もうみんな壊れてしまっている


呑みこんだ汚物は全部吐き出さなければならないが

ゲリラ豪雨ならごく狭い局地に降らせばいいのに

全国的に降らせることが自己満足になっている


それが彼女にとっての聖戦なのだろうが

その正義は自己中心的で屈折しているテロリストと同じ

まさに ”顔なし” と同じ


やはりみんな暑いから壊れ気味なんじゃないかな?





やっと蝉が鳴きはじめ

夏らしい夏となった




毎年蝉の鳴き声は胡散臭いと想っていたけれど

罵倒する人間様の叫び声に比べたら

なんて心地よいのだろうとあらためて気づかされた



皮肉なものだ



そうめんとか冷製パスタでも食べてクールダウンしよッ!!



皆さんも不意打ちのゲリラ豪雨に攻撃され

夏バテしないようご自愛ください



それでもなんかあったら

みんな暑さのせいさ!!




ドンマイ!!









ss-200809090057117928[1].jpg













posted by 真中 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月28日

しあわせのはかりかた


3%の確率でも信じればやがて100%になりうる

元が0でない限り・・


90%でも100にならず0になることもある


3%でも諦めないか?

90%で過信するか?


100は遠くて近いもの

そして近くて遠いもの


0でない限り、可能性は常に流動する


5月の後に7月がくる確率は0

日本の8月が真冬になる確率も今のところ0%


そういう頓珍漢なこと以外

すべての事象は100になりうる


ここはゼロという無の世界じゃない

1以上の有の世界


生命が誕生した瞬間に”1”となり

我々は生きてさえいれば100へ向える

常に流動する動の世界に存在することになる


この世に誕生した人間は自動的に100を目指し

または今以上の数値を目指すようになる


その様はまるで本能的であり、先天性であり

生まれてから後発的に学習した感性ではなさそう


まるでそれが生きている証であるかのように・・


考えてみれば人は不思議な生きものだね



そしてやがて、時々、いや結構な確率で

上を目指さなくなるものだ


それは生命の本能に反しているのだろうか?

もしくはこの世に嫌気が差した反動だろうか?


今以上にあらゆる数値を上げることが

本当に幸せへの道なのだろうか?

下げてみることは幸せへとつながらないのか?


人はいつでも上を、今以上を目指すことが

人としてまともで健全なのだろうか?



そもそも100が何なのかもわからぬままに・・



毎度そこに

仕組まれたトリックのようなものを感じてしまう



今日も人々は何かを競っている・・おそらく本能的に



何の数値を基準にしているのかは知らないけれど・・




///////////////////




闇雲に努力して世間の基準に合う数値を上げたところで

それがすべて幸せに繋がるとはかぎらない

それは単なる見栄っ張りのすることかもしれない


自分にとっての100を見つけることのほうが

よほど有意義にみえる


根拠もなく世間一般の100に合わせひた走れば

時に空しくもなるし、くたびれちゃうんじゃないの?


その自分の100は他人から見れば

もしかしたらとても馬鹿げたことかもしれない









ss-20051205180217343[1].jpg

ビールの泡の比率が多いと美味しくない確率は100

それでも美味しい確率も100・・(酒好きにとっては)



PS//

トランプはサウジアラビア外遊で演説し

テロリストは悪で我々は善である!

だから皆で協力してその悪を退治してください!

その先に幸があるのだから! そう言い放ち

異常な程多額の武器をセールスした後

アメリカに雇用が生まれる! と高笑いした


善悪を一方的に定義付け

すべてを平面ニ局でしか考えられない

世界を動かす権力者達の単細胞ぶりは興味深い


自尊心を満足させることと、幸をもたらすことは違う


我々世間一般の者たちはどうでしょうか?














posted by 真中 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月25日

花と華


関東の桜はとうとうすべて散り果てて

そのあとを若緑色の葉がぐんぐん生い茂る


花は咲いてるうちが華


よく見てみれば

新緑の桜も、紅葉した桜も、枯木立の桜も

それぞれ味わいがあり美しいのだけれど

人は咲いている桜にしか目が向かないものだ


しかし桜の花を何時間もずっと見続ける人はいない

ちらっと見て

あぁ綺麗、やっぱり日本はいいなぁ、って想い

その背景との整合性を愉しみながら

シャッターを幾枚か切り

それで終いである


それくらいでいいのだろう


咲いているものは少しだけその機微を感じとれればいい

そして儚く散って欲しい

ずっと咲いていたら価値がなくなるのだから・・



その生命は咲いていない時間の方がずっと長いのだ




”秘すれば花”

という言葉がある




人の営みを鑑みてみれば

派手に咲いているだけが美しいわけじゃない

誰にも見えなくてもそこに花があることがある


正確にはあえて見せないことでそれが華となる


あからさまにアピールして見せてしまっては

もう華ではない・・美ではないのだ



誰かの中に貴方にだけに視える華があるなら

その美を見守ってほしい


またはその華を自らが持ち合わせているのなら

あえてできるだけ気づかれぬよう

さりげなくその美を温めてほしい



とりあえず咲かせて見せたがる造花ばかりのこの街で

その小奇麗な花しか目に入らないのなら、不幸なこと




ここには質素で気品のある

あえて咲かせて見せぬ華のほうが多いのだから









PHM02_0083[1].jpg

















posted by 真中 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月26日

赤い球の上のピエロ


トマトのための季節が訪れた

これから2ヶ月だけ

彼らは最高にいい顔をする


塩のみでその性根を引き出す

引き出されたその旨汁に

最高のオリーブオイルを注ぎ乳化する


熱伝導のよい金属製のボールの底を氷水で冷やしながら

とにかく水と油が繋がるまでぐるぐると混ぜればいい


ただそれだけだ

誰にでもできること


最良の時、最高の手段を施す

最高の者に複雑な手段はいらない


その時人々はトマトの前にひれ伏すことになる


この世が素晴らしいかどうかは眉唾もの

でも今トマトが素敵なことだけは確かである


その確かなものだけに重心を置く

赤い球の上のピエロ


ここは確かなものが少なすぎるバランス取りの難しい場所


無関心が一番の解決策だ


どの路みな埒が明かないものばかり

だからとて無関心を美徳として開き直りたくもない


どちらが嘘をついてるのさ?

そんなことはどうでもいい


思惑があれば忖度も根回しもある

所詮、民の金を使い回す伏魔殿のすることである

そもそも皆無関心なのだ・・自の安泰以外は

誰が使い込もうが、誰を優遇しようが

誰が生きようが死のうが

個人的には痛くも痒くもないのだから

明るみに出なければ・・何でもあり

白日に晒されてはじめてジタバタする人たち

自分じゃない、自分は悪くない、知らない、・・って

それで最後まで逃げ切れるのだから


そんな話はいくらでもあって、ただ見えていないだけ


でも民間ならば逃げられない

これが民間人と国家権力に胡坐をかく輩の差だ

民間は緊張感があるのだ

企業の船は沈んでも

年貢を吸い上げた国家の船は絶対に沈まないのだから



行き先などどこでもいい

バスに乗ってトマト食べ行こう!



野党はペテン師に乗っかりここぞとばかり絡みつく

そんな不確かな球に乗るしかないか?

そこでバランスを取り立ってられるのか?

その先に未来は視えるか?


残念ながらこの政権もしばらくは安泰だろう


核弾頭と科学兵器を同時に多数撃たれてしまえば

ほんの7〜8分で終わるこの国で

我欲だらけの滑稽な寸劇をずっと見せられている

国の最高会議はそんなビー玉に重心を置いて

視聴率が欲しいだけのチープなマスコミは

面白可笑しく煽り立てながら

同じことをくどくど一生懸命国民に向かって説明してる


ある意味平和だよね



トマト食べよう!

今ならどこかに最高のトマトがある

ただそれを探しにゆこう!

そこになにかあるかもしれない・・



キャラ勝のペテン師

履き違えた大志

思惑の綱引き

暇つぶしのマスコミ

そして赤い球の上でふらつくピエロ


ピエロよろしくふざけてるならいいのだけれど

真顔だからなお可笑しい


なんでみんなでキャラ濃いだけで味が薄いのさ?


あなたの体重を乗せたその球は

確かですか・・不確かですか?



テレビを消し、パソコンも閉じて

春風の吹く静かな大地で

太陽と土の薫りのするトマトの声でも聴きたくなったよ


どっかのミサイルより

ずっとずっと破壊力があるかもしれないから・・


時々人の世を視ているのが嫌になったら

ただひたすら自然に集中してみれば聴こえてくる



悪魔も元は天使だった

そして天使も元は悪魔だった・・



あなたの人生の登場人物たちは

天使ですか?

悪魔ですか?


その天使はずっと天使のままですか?

その悪魔はずっと悪魔ですか?


ピエロはその不確かな赤い球の上をずっと歩き続け

やがてとうとう自らが天使にも悪魔にもなりうる



そして自分は天使サイドだと振る舞う者ほど

悪魔だったりするのだから

そのトリックはピエロらしくて


なお可笑しい







PS//

一般に出回る

水と肥料をどんどん与えた大量生産物ではありません

たとえ旬の時期でも過保護のトマトは見かけが綺麗なだけ

味も香りも薄く美味しくないのです

痩せた小さな畑で

急激な温度変化と雨、風、太陽に晒された露地栽培のもの

一部ハウス栽培でも考え尽くされた良いものがあります

あまり手をかけられず放ったらかされ

ただただ生き抜くことに集中した凹凸とヒダの多い

不揃いなトマトをぜひ探しに行ってみてください

内容の濃さと深みに感激するはずです


人間は自然から学ぶこと多いですね



行き先のわからないバスに乗りこみ

どっかの畑のまえで適当に降りてみたりして・・



そこでなにかにありつけたなら

まもなく春です









_MG_8446.jpg




















posted by 真中 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年02月16日

未だ及ばざる者たち


少し春めいた冷たい朝

今はまだ寒空の下の茶色い木々に

やがてくる黄緑色の若葉が脳裏を過ぎる


目に見えないもの・・

これからなるもの・・


それらのシグナルはすでに薫りはじめてる


まだ到達しないもの・・

及ばざるもの・・


それを求めもがき苦しむ様こそが

ほんとうは人間にとって一番の幸せかもしれない


及ばないから自然に考え、悩み、もがき苦しみ

そして躍動し、若返り、注意深く鋭敏となり

形振り構わず到達した姿へと向かおうとする


そこには必ず苦悩を伴い

その姿は人間の最上級の美点となる



過ぎてしまったもの・・

成ったもの・・

もしくは逆に、成りもせず、求めもせず、力みもせず


それらは不運のはじまり


冷め、衰え、老い、守り、鈍る

反動で表向きを着飾る以外道はなし


心着飾ればやがて枯れゆく


人は未だ及ばないがしかし諦めてもいないものを

ずっと持ち続けることで

多くを学びその生命を輝かせるのだね

それは職業や趣味や習い事でもなんでもいい


綺麗なものは買えるが

美しいものはお金で買えない


どれだけ綺麗なものを身の周りに集めてみても

全然美しくないものはこの世の中にたくさん


美点を所持するのに年齢は関係ない

老人とは心の劣化した者をさす


若くても老人がいて

年配でも若者がいる


楽をしたければ老人になること

そして我が不満を我が心の有り様以外のせいにすればいい

その濁り毒を全身に回してしまえば

一番ハイで楽になれる麻薬と同じ効果を見込める


若者はいつだって苦しいのだ

及ばざる者としての重荷を

自分のその腕でずっと抱え続けているのだから


その苦悩の重荷と幸の重量でヤジロベーはバランスを取る



幸せは慢性的な苦しみの中に・・



その苦が単なる陰惨な楽に替わった瞬間

ヤジロベーは転倒しほんとうの不運がはじまる



人は手っ取り早く苦しまずに

金も権利も、そして楽も自由も欲しがり

何かが少しばかり苦しいくらいで

欲求不満と不平不満を誰かにぶつけ


すでに最大の幸の真っ只中に居ながらも

それがわからなくなる


・・いきもの







PS//

”人は褒めて育てましょう”と誰かが言う

その意見を全面的に推奨する時代になった

人生というダイナミズムを綺麗ごとで固めたいのだろうか?


否定文を聞かずにそれを鵜呑みにして成人した者は

やがて屈折する

または修正するまでに結局かなり苦しむことになる


至極当然である

自然の摂理に逆らっているのだから


誰だって苦しみたくなく、否定されるのも嫌

楽が好きで肯定されたい


しかし現実は楽と同じだけ苦がそこにあり

肯定と同じだけ否定がある


今現在どちらに立っていようが

そのシーソーは常に入れ替わる


結局両者とも同じジレンマの中

同じ風船の中にいる


それらはいつだって等価であり

そこから人の世のあらゆる歪も進化も生まれるようだ


自分に降りかかるそれらをどう視るかにより

自らの周りに歪みも進化も生まれているようだ


それを時間軸に置いてみれば

すべては現実の現象が先ではなく

人の意志と心の有りようが先行し

後から現実がついてくるのかも知れない




誰かが大切なら


思い切り甘やかしてやればいい

その反面思い切り厳しい必要がある


思い切り守ってあげればいい

反面思い切り突き放す必要がある


その作用反作用は同じ価値があり

それを理解したとき人の心は深みを増すのだろう


自然界の一員である人間という生きものは

片方だけに寄れば屈折し萎んでしまう構図の中


その風船の中で、やはり大人たちは

愛を履き違えてしまう


とは言え、

それが上手くできれば誰も苦労しないのだが・・




この世には溢れこぼれて駆け引きしないものがある

そのこぼれた部分だけが

この世で唯一信じられるもの


肯定するだけじゃない

否定することも同等・・同時進行である


溢れこぼれるものとは

その両サイドにこぼれているものだ



人は当たり前のような顔をしながら

居心地のいい片側だけの正当性を主張し

やがてその反動がもどるとき

社会や他人のせいにしながら誰もが知らん顔をする

片側だけを推奨した必然の反動にもかかわらず



卑怯な生きものである



片側だけに執着しこぼれたものは

こぼした側の単なる自己満足となる


例えば優しさとか愛だとか・・


そんなに都合よく気持ちいいだけのものなら

もうとっくに誰もが簡単に手に入れているはず


事実は偽物のほうが多いのだ


それを疑いもせずにありがたがって受け取る者も

当然ながらその世界は小さく委縮することになる



どうすれば風船は大きく膨らむでしょうか?

または萎んでしまうのでしょうか?



どうすればこの世界は大きく膨らむでしょうか?

もしくは萎んでしまうでしょうか?



エネルギーを相反する方向へ同等にかけるなんて

そもそもできるのでしょうか?



それは本物の愛を持ち合わせなければできない業




それを人に求める前に

自が先にこぼしてみたら

どんな現実が起こるのでしょうね









ss-201006081224378312[1].jpg















posted by 真中 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年02月02日

鬼は外! 福は内!


世界が目まぐるしく動くなか

政治学者が難しく情勢を紐解いてみても

どれもピンとこない


ただ世界は動きたいように動いている

人々の意思の、その心のエネルギーが流動する方向へ


いいか悪いかは別として

たったそれだけの

昔も今も変わらぬ単調な力学が働いているだけ


トランプ出現は一定量の大衆の意志であり

過去のどこかで特定の不満エネルギーが

増幅した結果なのだろう


それはどこぞのテロリストとて同じこと


またそれに対抗し封じ込めるエネルギーが働くのも

ごく自然の単なる作用反作用となる


トランプ政権を肯定はしないが

必然的な流れなのだろう


どの路経済であれ紛争であれ

一方的に敵を切り捨てることはできない


敵を切ればやがて自分も切られ

その諸刃の剣がずっと左右に揺れ続ける


人は生きている以上必ずどちらかに偏る生きもの

そして偏った瞬間相反する対抗馬が現われる



人間が人間である以上争いがなくなるわけがない

どうしたって争う原理の時空に置かれているのだから

別に人間が悪いわけでもない



ただいい加減人類が過去から学習し実行するべきことは

どこかの青二才が語るような

争いのない世をつくることじゃない

争い自体を否定せず、ギリギリの線で殺し合わずに

上手に争い続けることかもしれない


それが単なる綺麗ごとにならぬように・・




たとえば内面の90%

悪魔的な要素を持ち合わせたとしても

相手の美点を見抜く目があればそれだけでいい



それで綺麗ごとなど言っていられないぎりぎりの線の中

細くてもリアルな救いの道が拓かれる



内面の90%が善人で

当たらず障らず立ち振る舞いながら

にこやかに相手の欠点ばかり見ている

不純な人間たちの繰り広げる根暗な戦争より

よほど平和の匂いがする




鬼は外!

福は内!


鬼のような顔した福がいて

福のような顔した鬼がいる




トランプはトランプなりの主観で

鬼は外、福は内をやっているだけ

一人の人間としてみればごく自然だ



複雑に絡み合う世の中を単純化したがる

その駄々っ子のような単細胞人間を

最高権力者にしたてあげたのは

同じく単細胞のアメリカ国民であり

欧米列強の陣取り合戦の末の

相も変わらない世界の歪かもしれない

人間はそもそも

単純なことしか理解できないのかも知れない



それでも成ったことがすべて自然の成り行きであって

問題は相変わらず多いだろうが悲観することでもない


成ったことをなかば嘆きながら議論する自体が

ナンセンスに視えてしまう


理由がなければそもそも成らないのだから

いいことも悪いことも・・




この世は逆さ吊りの世界




どちらに進もうが正しくて、間違えている


事実を鵜呑みにすれば、真実は遠のく


嘘を見つければ、またその裏の嘘が視えてくる


大人は嘘をつかない、そう子供達に伝える


子供は単純な欲求で動き


大人の顔を覗き見ながら既に大人の嘘を見抜いてる


大人もまた単純な欲求で動き


まるで大義のため動いているように見せかけるだけの子供


高等高潔らしきことを言いながら


大人びただけの単細胞な子供が世界を動かす


人は本心を隠し、逆さに見れば本当が視える


人間は自らの非を認めず


ずっと何かのせいにしなきゃいられない生きもの


そこには悪魔がいるのなら・・神様だっている




例えばあなたなら

誰を内に入れて・・誰を外に出しますか?




それとも

"鬼も福もすべてを受け入れる"

そんな聴こえのいいことを言ってしまえる

トランプとは正反対の駄々っ子のような



夢見心地の平和主義者ですか?















ss-2009032007014312516[1].jpg















posted by 真中 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年01月14日

透明な月


真冬の澄んだ午後

青空に半透明の白い月が浮かぶ



大きく息を吸い込めば

冷たくて綺麗なものが心の芯に到達するのを感じた



それがやがて温かく意味あるものに変わるまで

少しだけ時間がかかるだろう



街路樹を徐々に揺らしながら伝う風が

やっと到達して

遠くの旗を翻すのが見えた



何気ない日常に吹く風を誰かと分かち合えれば


それが幸せ




やがて何かあって悲しすぎて涙するとき


悲しみはその幸せを確定させる切っ掛けとなり

決して不幸を確定させるものじゃない



だから人は悲しみを超えてゆけるのでしょう



ときには山の上に立ち

めくりめく人の世の

その狭間に揉まれている日常を俯瞰してみれば


プラスもマイナスも同じだけ振れている振り子が視える


だからプラスだけ欲しがってもそうもいかないのさ

自然界の力学には逆らえないから



マイナスに振れれば同じ高さまでプラスに振れ

プラスに振れればやがてマイナスに振れる


大きければ大きく

小さければ小さく


それは同じエネルギーで反動してる



だからその物質現象に一々心揺れても仕方ない

自動的に幸も不幸も訪れるのだから・・




ただ、マイナスの空気に目の前を覆い尽されたときにのみ

その煙幕のなかに自を脱皮させるスイッチが隠れてる


視えない苦しみのなかでなお、そのスイッチに触れたなら

そのとき永遠の幸せが稼動する



たとえ今

どんな現象に振れていようとも・・もうあまり関係ない



幸せを確定するものは目に見える現象じゃない

単に心の位置によるのでしょう



誰かに幸せを依存しちゃいけない



寄りかかった心はやがて反動で自動的に傾く

ずっと左右に揺さぶられ、やがて疲れ果ててしまうよ



自分の力で

揺れない位置まで行かなければならないのさ



その向こう側に吹く風を誰かと分かち合えたなら


それが幸せ





青空に透けた昼間の月は

心の奥を静かに映しだし


そのさりげない引力は

いつだって

いつだって

幸せへと導いてる













ss-20051124234115210[1].jpg






















posted by 真中 at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年12月29日

Thank you !


西暦2016

二度と戻らない年がまた通り過ぎてゆく


知らぬ間に

着実に時は流れる・・変わらぬ日々の隙間を


街路樹に一枚だけ黄色い葉っぱが残り

抜けるような冷たい青空に揺れていた


その様はまるで過去と未来の境目を示しているよう



ブロッコリーの茹で上げが

10秒遅かったことを恥じてたことがある


そのこだわりはとっても大切なこと


しかし

高度な数式を完璧に組んだような料理をつくれたとしても

どこかに違和感を覚えた


料理の七不思議である


細分化してパーツを理詰めし再構築しても

素材同士を繋げる溶媒が一体性を帯びていなければ

もともと素材の持つ力を発揮できないのだ


核に入れば入るほど、又は人の手が増えれば増えるほど

分業となりパーツごとの意識になり動脈硬化をおこす


この社会と一緒である


大切なことは

パーツが生かされたまま自然につながること


個々の技術を必要とし

人の入れ替わりの激しいこの業界では

それを安定させるのは至難の業となる


それで多くの人間が介入する構造を撤回したことがある

人が多ければ商売はできるが料理はできない


上手く繋がるためには、あえてその形状を

ベストじゃないところに変えなければならないこともある


そのジレンマに悩んだことがある


料理人か? 経営者か?

俺はどっちだ? ってね


生業としてそれをする場合

さばく量も種類も多く、タイミングも多様になり

かなりストイックな訓練をしなければ対処しきれなくなる



そしてやがて何も知らなかった頃に想い描いていた

純心から離れてゆくのだ


この道に身も心もかぶれてゆく



たとえば20年30年経ち

やがて処理することだけが上手くなって

それくらいの段階で未だいるのなら

間違っても ”我こそがプロフェッショナルである”

なんて思い上がってはいけないのだろう


それは単なる慣れであり

極みではないのだから



我がこの道は未だ極まらず



時を超え、長いトンネルを抜けて

元々の純心に戻ってゆく

簡単そうで大変なことだ


かぶれたものを

その慣れを、思い上がりを、過信や怠慢を

純心に戻す


内から湧き上がる喜びとなるように・・


ただ、

そんな穏やかな気持ちのまま大地と海を生かすためには

さんざんキリキリした時間と自らを攻め立てるような

多くのストレスを経過しなければならない


それを通過せずただただ穏やかで愉しいことばかりなら

辿り着けない場所がある



ずっと1mmづつ

解らないのなら解った気になって進んではいけない


1mm進むのに

どれくらいの検証と練り込みが必要だろう

それでどれくらい気が狂いそうになるかわからない


ずっと苦痛である

ずっと愉しくもある

何とも言えない心境だ


でもその茹で上がった野菜と湯気の香りが

いつだって心をリセットしてくれた


この世のどんな高級な香水にも勝る最上級の香り

いつだってそれに救われる


とっても小さくて

しかし最上級の幸福がそこにある気がしてた



それだけが、我が道しるべである



何万回目の茹で上げたブロッコリー

その爽やかな香りを嗅ぎながら・・


相変わらずのこの厨房という研究室から

今年もお世話になりました



土と海と空に

そして出逢った多くの人々へ


感謝




2016

年の終わりに


agape cyef manaka









ss-2009063021344747168[1].jpg
















posted by 真中 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年12月09日

しろくきれいなものたちへ



藍色の空に星が一つ見えた



ジャンパーのポケットに手を突っ込み

その身を屈めてうつむいたまま

ニッセとトムテが足早に通り過ぎる



都会を彩るLEDライトには

飾りつける人の心が視えた



さりげなく洒落てるのと、ガチャガチャ派手なのとか


またはとりあえずこの季節だからって

誰かに命じられ

お城の門を照らしたような義務的なココロとか・・




綺麗なものがぜんぶ綺麗なわけじゃないよ




ずいぶん前に気づいたとき

天地が逆さまになるのが視えた





だから神さまにワイロを送り

この逆さ吊りの世界から自分だけ助けてもらおう





遠い国の騎兵隊はあいかわらず

こんなに寒い夜に微動だにせずなにかを守ってる



弱い者がさらに弱い者をたたいてゆく



俺は強いのだから言うことを聞けー !  ・・だって

王様たちのあまりの単細胞ぶりにひっくり返り

また逆さになって元にもどった




けっきょく一回転してしまえば

すべてがもともと正常なこととして

成り立ってしまうから可笑しい





だから神様にできるだけ純白に見える花束を贈り

自分たちだけ幸せになろうと思った





やがて降り積もる粉雪のようにすべてを覆い隠し

ただひたすら白く

ひたすら綺麗に見えればそれでいいのだから



それがたとえ哀しい花束でも


神様はきっと気づかないから・・





ニッセはそう言ってトムテは少し微笑みながら

木枯らしの夜道を足早に通り過ぎ

クルクル回りながら舞い上がったら

とうとう見えなくなった



そしてほんとうにそこに妖精たちがいたのかすら


もうわからない・・





agapeから

Merry X'mas!






m45_s[1].jpg






きれいなものがぜんぶきれいなわけじゃない

しろいものがすべてしろいわけじゃない

やさしいものがみんなやさしいわけじゃない

せいじょうなものがせいじょうとはかぎらない

ただしいものがほんとうにただしいわけじゃない

ましてやくろいものがすべてくろいわけじゃない


このほしはそういうほし






s-2009111821565053819.jpg







アガペカーザマナカは

今年も御節を販売しております。

伊勢丹、三越、西武そごう、松屋銀座

Amazon にて。





_MG_0033 A.jpg





















posted by 真中 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年11月11日

人間の証明


"大切なものが何もなくて生きていると言えるか?"

とある映画のセリフが刺さる




人はずっと想いに囚われる




もしもすべての執着や煩悩を捨てたとき

その人は、その魂は、完全体の幸福を手にする



人間の不幸とは

どこまでも我が主観から抜け出せないこと

どこまでも自分から逃れられないことだ



だけどさ、その主観を消し去り

何にもこだわらず大切なものが何もなくて

人は生きていると言えるのか?



何にも執着せずもっと大きな愛ですべてを包めるなら

もう人じゃない、神だね



そしてそれを望み語り明かす人はたくさんいる



その方への受け答えは

できるだけ心がけたいものです。

・・それくらいでいい


しかしその手のことを過剰に推奨し感化する人もいる



ならば・・

やれるもんならやってみな



それはたとえば

国籍も違うなんの接点もない見ず知らずの他人のために

なんのためらいもなく我が命を捨てられる

その自己犠牲を平気でできるってこと


我が子のためでもなく、親兄弟または恋人のためでもない


全く知らない人のために自分が例えば殺されても

その人が救われるならいいと

そのためならこの我が命にも執着しない



それ、できますか?



それができるなら

貴方は人間の修士課程のすべてをめでたく修了しました


これから貴方は晴れて神様です!



だいぶ極論だが極論の踏み絵を踏ませてみれば

本物か偽物か一発で解るから

身近に綺麗ごとを並べる胡散臭い人がいるなら

試してみればいい、ほぼ瞬殺だろう



そこへ行けてる人

世界でも過去1000年にほんの数人しかいないだろう



我こそがその聖人になった気でいる多くの人間たちは

やがてその傲慢な主観から他をマインドコントロールして

神の代弁者のような顔をしながら、人を欺き、傷つけ

金品を無心し、やがては殺し合いをはじめるものだからさ



しかも自分だけは常に安全地帯に居ながら

私腹を肥やしているのだから笑える

そんなセコイ聖職者まがいが世界にどれくらいいるのか?



すべては ”神がそう言っている、神のお告げである” と

妄想肥大したただの人間が言ってしまえば

そんな簡単で都合のいい人間の支配構造はない



それはこの世で最も大罪と言ってよい

神の名のもとに金品を搾取でき、人も殺せるのだから・・



最近では韓国のパク・クネ大統領も、親の代から

その類のエスパー一家に支配されていたのだろう



神からのメッセージだなんだと孤独な有力者に近づき

終いにはずっと寄生して金や利権を搾取し続けるのだ



無差別に冷酷に人を欺き殺せる悪魔も

無差別にすべてを愛する神も

紙一重・・似た者同士


英雄を求めるなら悪役が必要になる

それが原理


そして悪魔は巧妙に神を装うもの

愛を装うもの

英雄と悪党は紙一重



神だ神だとしつこい人間に出会ったら泥棒と思え!

正義をひけらかす人間を見たら悪党だと思え!



人間の頭脳でこしらえるものはそれくらい危ういもの

この世のすべては人それぞれの主観がもたらす現象となる



もし神が居るとすれば

人の主観の損得勘定など遥かに超えてすべてを共有する



それでも人は善としての神を信じたがる

その反対側に悪を置きたがる


善悪とは人間中心の主観で身勝手につくりあげ

さらに人それぞれの主観で異なるのだから

その想いに囚われている以上

どこまでも対立と争いは必然的に続くことになる


神という名のもとに・・


人間の不幸とは主観に囚われること

そしてある主観が他の主観を誘導し洗脳するもの

一度信じてしまったものはなかなか否定できないもの


それが人の主観の特徴だ


だから人が想う神が本物の神である確率は低く

ほぼ偽物と言っていい


信仰や宗教を否定するわけじゃないけれど

伝言ゲームは最後に全然違うことを言い出すもの


それは人間の主観の仕業である


それぞれに都合のよい神をこしらえ純粋なものを支配し

やがて必ず内外に対立軸をつくり

自分達だけが選ばれし正しい者と信じはじめるのだ


勧誘して仲間を増やし部外者は軽蔑するようになる


その瞬間に元々は神聖な神であったとしても

人の主観が作り上げた詐欺師の神に入れ替わる


神は人の主観のフィルターを通した瞬間に偽物となる



皮肉なものだ



本物の神はとうとう人間の主観の外側

目の前にいても決して手の届かない

そのパラドックスのなかへ逃げ込むしかない



人は誰もが自分の情熱の虜

どこまでも飛躍したがり身の丈を超えてゆく


でもどんなに修行しようが滝に打たれようが

たとえば瞑想に更けて自然と一体になれた気になっても

その主観からは抜けられない


元々は醜態を晒しまくり

いい格好してけっこううまくやれてる気になったり

勝手に落ち込んだりするのが人間なのだから



それでもまだすべての主観と執着を捨てて

大きな大きな愛を持って人々を救済し

その反動でこの命と引き換えに我が苦からも抜け出せる

そんな絶望的な究極の地を望むのか?


又はあえてずっと

未熟ゆえの苦と共に寄り添い歩くことを受け入れ

それをこの腹のど真ん中で割り切る度胸があるか?



聖域の極地から逃げるのも度胸がいるものだ



それがもしもできるなら

特定の執着を持ちながらも・・

慢性的で一定の苦しみを常に受けながらも・・

それによる醜態とか顰蹙を

時には世間様に晒しながらも・・


人生はずっと笑っていられるかもしれない



すみませんね、だって私

”人間だもの” って

どっかで聞いたようなセリフを吐きながら・・



強烈な我が主観を心得て、連鎖する行動を知り

我が身に降りかかるすべての幸福も困難も

そこから派生するものだと理解すれば納得がいく


ぐうの音も出ない自我をこの腹の真ん中で受け止めたら

素直に省みることもできるだろうし

頑なな主観がもう少し柔らかくなるかもしれないしさ


その腹が決まらないから・・


自分の芯を視ようともせずに幻想に明け暮れ

その主観から自分でこしらえた苦難だとは認めないで

ずっと拒絶するようになる


更に固い自我の鎧で自己防衛しながら

他に責任を転嫁し攻撃し

その根をすり替え自分で自分を偽り続け


やがて人は壊れてゆくんだ





寒い寒い11月の空の下

ふと想ってしまったこと




そしてこの話もまた・・強烈な・・我が主観だから笑える


残念であり鬱陶しいものだね



誰もがこの”我が主観”というものに

どこまでもつきまとわれることが

人間であることの証明・・宿命となる



だからいち人間の主観から発するものに

確定できる真実などなにもないのさ


その主観は時の経過と共にコロコロと変わり

常に流動するのだから・・


多くの主観が集合して

その相対性の中でのみ現象は確定される



唯一いっさいブレずに信じられるものがあるとすれば

人の奥の奥の芯の部分に微かに光る愛だけかな?


人々はその愛を変わらぬものとして憧れるけれど

それすら残念ながら多くはまがい物で

ただの利己的な執着を愛だと仮装し夢想して

この街の隅々に沈殿する



愛とは他のために自己犠牲をも厭わない姿



お互いが自己犠牲をも厭わなければその愛は完結する

それくらい壮絶で、なま易しいものじゃない



世間でもてはやされる "優しさ" とか ”思いやり” は

施す側の自己満足・・愛は自己犠牲

似ているけれど全然違い、真逆の行動に出ることがある


それらを同じものとして扱えば

結局誰かが傷つくことになる


自分が誰かのために犠牲になるのが嫌なら

それは愛ではなく自分だけが守られ救われたいだけの

他人への貧しくて卑しい執着となる


執着とはたんなる打算に過ぎず

逆に自分以外の者を犠牲にさせてゆく



凡人は世界のすべてに対しての愛など持てるはずもなく

せめて自分の身近な者にだけならできることがある


それは心の中の何パーセントだろうね?



それでも愛は愛

正真正銘の愛だ



愛は誰もが宿すことができるけれど

誰もが持っているわけじゃない



それは人間である以上最も大切なものとして

世界中で語り継がれ、唄い継がれるけれど


それでもずっと持ち続ける自信もないから

気を紛らし、笑い飛ばし、酒をくらい、目をそらし

一時的に自分から脱走しながらも、また連れ戻され

どこまでも自分のことなど理解できないでいるのが人間だ




大切なものを探し

そのためなら無条件で力を注げる存在を探し


そして慢性的な自分との対峙にずっともがきながら


綺麗なものとして、一番強いものとして

変わらぬものとして、すべての不安を取り除くものとして


愛というものに、また憧れてしまう




唯一自分から逃れられる方法があるとすれば

我が箱のなか身を自我の代わりに愛で充満させるしかない


自我の居場所が無くなるほど

愛によって自分を消し去る


愛らしき偽物で埋め尽くすのではなく

正真正銘本物の愛でだ


そんな果てしなく気の遠くなるような作業ができるか?


お伽話の中でそれは

神の世界に行くことに等しい



そりゃ、無理な相談だな



未熟であることを前提として

いがみ合い、また助け合える


巡り合ったものを大切なものとして認識するまでには

多くの時間を費やすものだ


すべては未熟であるゆえの問題が生じ

未熟であるゆえの自分を愉しみ

時にくたびれて自分から逃げたくなり

その副産物に味わいと深みが生まれる



その有さまはそれぞれの主観により

どこまでもフリーハンドで描くことができて

地球という大きな画板は常に色合いを変えてゆく



それはこの晩秋の紅葉のごとく美しいかもしれない

または荒廃した廃墟が続くどす黒い景色かもしれない



人も厳しい環境で揉まれながら鮮やかに紅葉する

大きな地球の色あいを決定するのもその個々の主観による



世界中が極右のナショナリズムと

そのポピュリズムを推奨し

自国だけの利益を追求しようとする時代に入りつつある


まるで戦前に戻ってゆくようだね


その自然発生する大衆迎合も一つの主観洗脳であり

偽物の神を信じる構造に等しい



これも大きく見れば人間という生きものである以上

受け入れるべき自然の流れなのかもしれない



みんなでいくら探したって

確定できる真実などどこにもないから

それぞれが個別に描く大切なものの存在が

せめてもの生きてゆく糧となる



この世を混乱させる元は


本物の神と偽物の神

英雄と悪党

愛と執着

利己と利他


それらの境目が人間の主観のなかで曖昧になることによる




この世で信じられるものは


偽物だらけの神じゃない

人の心の奥で微かに光る本物の愛だけだよ

やがてそのミクロの光が大きな地球を救うはずだ

と、我が主観がつぶやく



いやいやそれは違うよ

大きな神を信じればミクロの個々が救われるのだ

と、別の誰かの主観がつぶやく



それでいい



いつだってそれくらいの位置に居続けることが


人間であることの証











ss-2009051823172316200[1].jpg














posted by 真中 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年10月19日


ずいぶん秋らしくなってきたね


やがて街路樹は色づき、それがはがれ落ちるまでは

まだしばらくの時がかかるだろう




今日、アポなしで

まだ若いギラギラした広告媒体の営業マンが来てね


それで時間があったから少し話してた




もう自信満々


好きな時間に来て言いたいことだけ喋りまわすところとか


今どきの俗に言うゆとり世代らしく

ずっと否定されずに大事に育てられたのだろう

常に自分が中心だ


見透かされてることもわからぬままに



”若いうちはそんなものさ”

なんて思わず年寄りみたいなことを言いそうになって

止めた



自分の幹すら見えてないで虚像の上塗り


粗削りな机上のデータばかり得意げに読み解いて

細分化されたリアルな実像はまったく見えてない


それを支えてる力は一種の宗教みたいなものだね


そう、”自分教” とでも言えばいいのか?



きっと誰もがあるウエイトで通過すること



本当の自分に虚像を盛る


例えば売りたい商品も過大評価してから

まずは自己暗示にかけ思い込み、信じ込み

それを我がエネルギーの源としながら他人に信じさせる


”もしかしたら自分の解釈は違うかも知れない”って

たった一度でも立ち戻ることができないのだ



人の役に立ちたいって・・君は言ったけれど

そんなカッコ良さげなこと軽はずみに言い放ってみれば

その大義で心が一時的に満たされるのだろう


その心が本心ならば、そのように伝わってきたはず


その器はまだ備わっていないこと

発する空気でわかってしまうよ



それがただ自分のための自分よがりだと気づくまでは

もうしばらくの時がかかるだろう



やがて虚像が実像に変わるまで

しばらくはハッタリで走ってみればいい



誰しもがそんなものだし

だいたいこの世は

多くの部分が虚像で埋め尽くされているのだから



ましてやネットの世界は虚像の塊

真実を見つけるのは至難の業



ただそのハッタリに本気で騙される人もたくさんいる


それでも本人は騙してるつもりはないのだから・・

自がこしらえた虚像を信じ込んでるのだから・・

なお厄介



ほんと危うい生きものだね



たとえばいい歳になたって

自己欺瞞の虚像をずっと信じてたりするのだからさ


歳を重ねればそれがなおさら頑なになったりして



人間は危うい

そんな危うい蜃気楼にしがみついてしまうもの



いったいどれだけの人が

自分の幹を、他人の幹を、

この世に起こりえる現象の幹を、

自我で思い込まずに正確に把握してるのだろうね



それくらい不確実だから、もしかして

みんな辛うじて飄々と生きてられるのかも、なんてな



夢見心地の虚像のなかで

ずっと歩けたなら幸せ


ずっと一生実像など知りたくもないさ


虚像同士だからうまくいくこともあるしね



ただ虚像は虚像だから

リアルな実像の結果を生みだせやしない



人生は夢の旅

誰もが虚像と実像を行ったり来たり



そして最後には隠しようもないその実像を

我が結論として受け入れてゆくための旅路



ただその道の途中で

もしも現実に疲れたとき、虚像の世界を夢想するものだ


もしくは意気揚々とした若者達は

虚像の夢のなかで過ごす時間が長いもの・・


やがて夢が実像に変わる人もいれば

どこまでも夢のなかで浸り続ける人もいる




もしかしたらそれはとても素敵なことかもしれない


もしかしたらそれだから

人間やってられるのかもしれない・・




本当の幹が見えるまで

この先どれくらい着飾っては枯れゆく枝葉を

傷つきながら見送らなきゃならないんだろう?



痛いねぇ、・・寒いねぇ



本物の幹が現れることが

どれだけ美しく

そしてどれだけ残酷なことかもわからぬままに・・




巡りめく、この秋の景色みたいにさ










ss-2009081021004045665[1].jpg





IMG_0716.JPG

我が家より、早朝5:30の朝焼け













posted by 真中 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年09月25日

罪深き役得


ユダヤの財産を差し押さえ

アウシュビッツに送り込んだナチスの戦犯

アドルフ・アイヒマンの裁判ドキュメントを閲覧した




彼には一切罪の自覚がない

すべて上官からの命令に従ったまでだと・・


良心の呵責はなかったのかと検察に問われれば

本意ではなかった・・しかしやるしかなかったと



ある意味それが本心なのだろう



見たところ卒がなく

知能レベルの高い事務方といった雰囲気の男である


おそらく当時の時代背景の中で一個人が抵抗したところで

簡単に潰されたであろうことは容易に想像がつく


不幸な時代、不幸な立場に遭遇してしまった

そういう運命だった・・私もまた一被害者



そういう側面も確かにあるだろう

ただ彼は、ひたすらそれで片づけたいのだ



しかし何百万人もの命と引き換えにしては

とうてい釣り合いっこない答弁である





都庁にもまた

わが身案じて自覚のない人々


おそらく都庁に限ったことではない


この社会には

前後上下左右の繋がりから出来上がる空間のなかで

最終的に有益な落としどころを想像せずに

個々が断片的な作業をひたすら繰り返すことで

安住できる人々がことのほか多いのだから


どちらかと言えばその類のほうが多いかもしれない




最少ミクロの”個”で

それぞれが時として体制にブレーキをかけられないのなら

この世はすべて誰かのせいで済まされる




ユダヤは痛み、都民は痛むけれど

彼らには痛くも痒くもない


ただ上官からの命令である、と



ひたすら惰性に乗り込めばいいのだから




それで良いのなら

それで自らの生活が守られるのなら

それは罪深き役得である




どこにでもありうる伏魔殿の正体は

特定の有力な誰かではなく

関わるすべての人間が断片的な作業に徹して大筋を案じず

その役得に胡坐をかいたことによる



誰も一切罪の自覚がなく

悪気すらないのが伏魔殿の特徴である



”誰かのため”などという公明正大な大義は存在せず

誰もがどこまでも自らの保身のための処理作業をこなす


私はこれで自らの賃金を得るための仕事をした、と

それを明確に証明したいだけだ


それが全体像の中で有効であるか

最期まで丁寧に繋がってゆくのかを追跡することすら

そんな思い入れも情熱もなく

個人的に知る必要もなければ興味もない


ただ私のしたことに対しての

見返りである現ナマが支払われればいいだけの

無機質な作業ロボット



結果パーツがチグハグで繋がらなくなる



どんなに影響力の薄いパーツであれ

自らの作業を無機質にこなすだけの

全体を案じない者が集まれば

その組織は屈折し衰退がはじまる


何のため、誰のため、自らが携わるパーツがあり

それをどこへ繋げれば効果的か

その象徴的で初歩的なトータルイメージが欠落している



その循環が潤わなければ

組織は個々が分裂し無駄な経費が上積みされた

非効率で利己的な伏魔殿と化す



悪い習慣は長い月日をかけて組織に浸透し

いずれ誰も感じなくなる



豊洲移転のように一度問題が起きれば

ガバナンスをしっかり見直せ

というハード面の議論になるが

いくら体制で管理しても

ミクロの個々が無意識無関心ならば意味がないのであり

やがてそのガバナンス自体が道を誤らせる根源になりうる


かえってガバナンスにこだわり過ぎるから

無責任が発生する

それが極論だろう




たとえば反逆罪で処罰されようとも

たとえばそれにより自らが不幸の地へ追いやられようとも


たとえばそれが

吹けば飛ぶような微々たる抵抗であったとしても


勇気を持って個が流れを変えるしかない



そういう場面が

時々ある





すべては最小ミクロであるそれぞれの個人が

自らを浄化するしかなさそうだ





たとえば戦争に突入するときだって

得体のしれない伏魔殿が大きく作用するのだから・・













ss-20051202121348297[1].jpg















posted by 真中 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年08月24日

八月の空


久しぶりの台風は関東地方を通りすぎ

追いかける弱い南風からは

残り香のように遠くでうねる潮の匂いがした


八月の湿った風はやがて沈殿し

また次の風がその重たい巨体を動かすまでは

別次元の重力でロックされたように

ずっしりとその場所を湿らせ続ける


沈殿したものは

時々大掛かりな台風が飛来して一気に吹き飛ばし

綺麗さっぱり回収してくれたほうがありがたい




更にこの街には情報の風が氾濫し

そして沈殿して・・


一度台風みたいにすべてを吹き飛ばしてみてほしいけれど

人の営みは自然界のごとくとはゆかないもので

常に正も負も路地裏のアスファルトに堆積し続ける


したがって必要なモジュールだけを

必要に応じて使いこなす

それがスマートな現代人のスタンスで

それを突き動かす原動力には

”欲” 以外のガソリンはいらない
 

目的に対していかに最短距離で到達するか

目的発生から結果奪取までが速いことが肝となる


それには

山のように積みあがった得体のしれない情報群から

必要なものだけを

短時間で嗅ぎ分け引き出さなければならず

そのリテラシーを磨くことが

新しい道を拓くための道しるべとなる


そのとき自然は不要なものだけを

都合よく吹き飛ばしてはくれないのいだから

人はその能力を有能の証として称賛する


それが自在にできるならスムーズにことが進み

一種の知的快感を得られるけれど

そのデジタル思考は物事を深く噛みしめないうちに

上辺だけで理解したつもりになるような

浅はかな思い上りへと繋がりやすい




遠い入道雲はたくさんのものを抱え込み

いずれそれを下界へと降らすけれど

処理しきれない水は逆流してマンホールを押し上げる


やがて大海原へ流れ込み

また蒸発して雲となるころには

風はその雲を違う街の上へ移動させてくれる





太陽はジリジリと照りつけ

向日葵はその太陽を真っ直ぐに仰ぎ見て

蝉たちはギリギリと乱暴に叫ぶうちに

高気圧に乗りながら水蒸気は自動的に上昇し

ポッカリと大きな雲をこしらえて

風はまたゆっくりとそれを移動させる


それが自然界の有効なシステム





自然界は常にアナログのようだ


経過があり連動して必然の結果が生まれる

それをただ素直に繰り返す・・





人間は欲求にまかせて自らに有益なものだけを拾い集め

その高い頭脳はやがて

経過を省略して短時間で結果に結びつける術を備えた

高度な文明を築きあげたけれど

一度抱え込んだものを

移動して再分配する高潔な精神システムを持ち得ないから

いつでも一定の歪みが生まれるのだろうね




奪取することには必死になるけれど

分配するのは嫌なのだ



ただどうやら・・



分配する者には幾筋もの道が拓け

がっちりと抱えこむ者は道が閉ざされる


そういうふう



人の世に降りかかる

人の手では到底変えられない自然の作用は


そういうふう




分配対象はお金や物質に限らず

知識や技術や真心でもある




ここはただただ情報処理に慣れて

それだけで一時的な快感を得られるけれど

心の奥に響くような充足を掴みずらい

なにか大切なものがポッカリと抜け落ちた

空虚で滑稽な街




そして

眩しいほど真っ青な八月の空の真下で

散々この街を揶揄しながらも

決して嫌いにはなれない滑稽な自分も


いまだそこにいるのだから可笑しい












ss-2005102801025778[1].jpg






















posted by 真中 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年08月13日

chefレシピ


今日たまたまアマゾンの

シェフレシピ本、売れ筋ランキングを見たら

なんと・・

1位 PASTA (真中陽宙著 世界文化社)

2位 VAGATABLE (真中陽宙著 世界文化社)

だと

おかげさまで

プチhappy!


hyu-hyu-!!







ss-200706301824498312[1].jpg















posted by 真中 at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月17日

tail-lump


静かに暮れる七月の夕


群青色の空とわずかに残る赤い筋に

蒼黒いビルの輪郭が浮かび上がる




今日もまた

どこまでも清澄無垢のありふれた夕闇を見つめてる




この世の平和と、人々の幸せと・・


取ってつけたような暗示をかけてみたくなる深い空




自分で幸せと思えない人が

どこかの偽善者に願われたとしても

そいつはつかめないか?




幸せも不幸せも

想いのなかでのみ増長し連鎖する単なる錯覚にすぎない




現実は想いの鏡




現実を変えたいのなら

想いを変えること



幸せになりたいのなら

不幸の想いに囚われないこと



たったそれだけかもな?





赤いテールランプは一定の距離を保ちながら遠のいてゆく

両側には不揃いな青紫の四角い輪郭

いくつもの黄色い灯り玉が夕闇にこぼれてる




その玉の中にはいつでもありきたりのリアルが蠢いていて

優しさも、うとましさも

そして愛おしさも、煩わしさも

ぜんぶがごちゃ混ぜ


そのごちゃ混ぜのなかにのみ

いつでも追い求めてるものの種がある




それでも人は

自分が変わるよりも先に、相手を変えようとするものさ



人はみな・・我がままだ



いつだって我が主観からは解放されないのだから・・




ディズニーランドみたいに絵に描いたような幸せを

いちいちフォーカスして

その気になれるほど野暮じゃない、


なんて気取って見せれば

ヴィーナスはこちらに微笑むだろうか・・?




そうやって気を紛らし幸せを夢想しながら

誰もが大切な人の前を通り過ぎてゆく




そしてその赤いランプが

もう見えなくなるほど遠ざかったころに、ふと気づく




ただもう少しだけ大きければ

なんでもなかったこと




人は来て・・人はまた去る




ただ幸せになりたいだけだ、って

相変わらず幸せの意味もわからぬままに・・



幾つものヘッドライトを迎え入れ

幾つものテールランプを見送ったのなら



いつしか自らの愚かさを知る



やがて少し疲れたころに



誰かのせいにしながら

とうとう腐り卑屈に明け暮れ、朽ち果てる人



正も負も噛みしめて

やっとほんとうに優しくなれる人





碧く煙る街の

道標のない道



幾つもの別れ道を通りすぎ

その先の先まで進んだころ



また道は二つ



どちらがいいとか悪いとか

正しいとか間違えだとか・・

そんな単調な話でもない



ただ目の前にはまた

道が二つ



想いは一つ





現実は



想いの鏡









ss-2009051008003845116[1].jpg






















posted by 真中 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年06月22日

紫陽花の色愛


ベトベトと肌にまとわりつく湿気には紫陽花がつきもの


霧雨と曇り空にはその紫色がしっくりとはまり

ついでにデンデン虫でもその葉脈をそろそろとつたえば

これで完璧な6月の匂い



まもなく真夏の空に向かい絶叫をもたらす蝉たちは

デビュー前の下積み期間のほうがとっても長くて


今ごろ地中では

やっとこさ陽の目をみるための最終チュックをしながら

その時を待ちわびてる



やがて地上デビューした途端にその命が尽きるまで

ただひたすらに”生きている”ことを主張する


”俺は生きている!!”

”わかったか!!"


こちらが”もう分かりましたから”と降参するまで

それは続くのだ



本能に突き動かされるその生命の絶唱は

時に胡散臭く

しかし深緑色の木々と、灼熱の太陽と

そしてその雄叫びを重ねながら俯瞰して視れば


やはり美しいもの





人もまた生きている



カッコつけて、虚栄を張って

勝ったの負けたの、上だ下だ

世のため人のためとか言ってぜんぶ自分のためだったり



人に騙され、人に打ちのめされて

時には人に救われながら

やがてはその”人間”というなまものにうんざりするけれど

それでもどこか愛おしい



”人は可愛い” と言えば

その様すべてが可愛いくもみえてくるから不思議



時に醜態を晒しながら、みじめでカッコ悪く

それはとても胡散臭いのだけど

確かにカッコいい瞬間だってある



その生きざまのすべてを

その関わりのすべてを細かく見通してみれば


やはり美しいのかもしれない




生命を汚いものとして貶めちゃいけないのさ

たとえどんな関わりであれ・・




どうあれ想いのまま生きてみればいい

誰もが虹の向こう側までただ走り抜けたいだけ


そう、走り続けることだけが

生きている証なのだから・・




心の空は晴れたり曇ったり、時々どしゃ降りの雨で

どちらかといえばこの6月の空のように

曇り空のほうが多いかもしれないね


だっていろいろ大変なのだから・・


その大変はぜんぶ自分が勝手にこしらえているのだけど

つい人のせいにしたくなって


・・あぁ胡散臭い




その蝉たちの絶唱を責めなさんな


その醜態を、そのあやまちを

そんなに責めなさんな




責め立てるあなただって、やがて責められる

同じ空の下の蝉




うまくいかないことも多いけれど

誰だって心のなかで必死に叫んでいるのだから


生きるために・・






紫と青と赤と白


6月に美しく咲き乱れる紫陽花は

土の成分により色が変わるらしいけれど

人もその環境で色あいが変わるもの


梅雨空の下その輩たちは最期に潔く散らないのだから

あまり好きになれないけれど


白いのだけは好き


でも白はあんまり見かけないね


どんな環境でなら

白くなれるのさ?












ss-2010100910173782317[1].jpg



















posted by 真中 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年05月04日

反射光


雨上がり

目映いほど真っ白い反射光


厚みのある空気のなかには

やや黄みがかった反射熱が溶けこんでいる


五月の強い風


もったりとしてボワンッ!!と体にぶつかるぬるい空気圧


若みどり色の街




生きている

様々なものが・・






江戸時代の画家 

伊藤若冲(いとうじゃくちょう 1716-1800)は

その精密な色遣いと

一切下書きせず一発で決める筆のタッチの精巧さで

現代の人々を魅了する



彼は言い残し逝ったのだ


”千載具眼の徒を竢つ”


千年後に理解できる人々に自分の絵を委ねる

自分の絵は千年後に理解される




東京都美術館 〜5/24まで

今朝”NHKスペシャル”で知り

必ず間近で見てみたいと想った




テレビ画面に映ったそれは

この風の向こう側に視えるような含みがあり

躍動する鮮度と生々しいほどの生気が宿っていた


彼は目に見えないものまでその筆先に描き出す

反射光の照射や浸透

それぞれの被写体が持つ重層された色彩まで



それは限りなく精密な化学であり

または膨大な宇宙観すら視て取れる



そう、彼の絵には生命の躍動する吐息が視える

限りなく透明で、限りなくシンプルで、限りなく素直だ



草、木、花、鶏、蛙、雪、そして陽射し

それらに宿る意志のようなものまで

控え目に、ときに力強く伝わってくる

真ッサラで健康な草木だけでない

病気や虫喰いに侵された葉の表情まで、あるがままだ



生命と、その存在への敬意がそこにある



ギラギラとした情熱で心眼を見啓き

その心が捉えた描写を寸分狂わず表現できた孤高の天才



正に”孤高”を全うしている



すべては深い描写からはじまるのだ、そう訴えかけてくる


そのとき

自らの思い込みを

その色眼鏡を

決してそこに入れてはいけないと・・




人はよく視もしないで

自我のフィルターを通しながら自分色の描写をし

一度認識したものはなかなか変えられない


そんな夢の中で生きるもの





孤高なものとは

たとえばビートルズの楽曲のように

時を越えてもなお新しい


色褪せない永遠の鮮度がそこにある






今朝外に出てみれば

そこにはいつものありふれた街の景色とは違う

躍動した鮮やかな色彩があり

その一瞬の輝きに魅せられ、少し気後れした



いつもの背伸びした灰色の街とアスファルト



強烈に照射された光と沈殿した空気を入れ替える強い風

一面を覆いつくした水滴、反射する淡い光り

そのフィルターを通しただけで

老体は産声をあげた生命のごとく

真新しいものに変化することがある



ほんのひと時だけのスペシャル



どこかの誰かみたいに

やがてすぐに変わる気まぐれな笑顔を見れたような



ラッキーな朝

一年のなかで特別な日



ちょっと大袈裟かな?






ただそれだけの

どこにでもある、ありふれた



特別な幸せ






心の眼を拓いたとき

それは現れる



自分の心が細部まで描写するか、しないか

自分の心が拾うか、または拾わないか



ただそれだけだな



ありふれたもの

普段はよくよく視てはいないもの

個々の観念でロックしているもの

目に見えていても、ココロには到達しないものたち・・



直射光はいつでも燦々と降り注ぎ

そしてひっそりとささやかな反射光が折り重なって佇む



いつだってそう

ひたすら目の前にそれは有る



ただそこに佇む空気が語りかけるものは

一度として同じことはない




それだけで満たされてゆく




今の私には

贅沢すぎるくらいに・・














ss-2009072410153918133[1].jpg

















posted by 真中 at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月28日

タルト・タタン


昔よくやってたタルト・タタン

久しぶりに焼いてみた

やっぱりこういうクラシックな焼き菓子が一番!





この中に・・永遠はある?












009.JPG






010.JPG
















posted by 真中 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記