真実と正義は見る角度により異なり
全てはそれぞれの立ち位置からの主観による
正しいと想っているのは
その位置に立っている自分で
それが本当に真理かどうかは眉唾もの
人はそれほど身勝手な生き物
システムの中に組み込まれた人間は
仕事として一部分、一点だけをこなすのロボットのようで
想像力を失い、縦横高さのある全体像を把握しずらい
仕事だからという大義名分の元で
良くも悪くも着実にその一点の任務を遂行する
アウシュビッシュの看守も、エセ占い師も
皆それにより「利益を得るため」に
自分なりの立ち位置から、曲った正義を掲げる
全ては「仕事だから」
人は組み込まれた位置により
どうにでも替わる脆さと忠実さを持つ
「仕事」という前提の元にモジュールを一つ組み替えれば
それはそれでまた洗脳されてしまうように・・
「絆」、「絆」と煽り立て
案外自己満足のように見えて
耳につき、いずれ鼻につく
そんなことを言う自分はひねくれものか?
震災から一年
してあげることと、してもらうことは対等で
被災者も支援者も
アフリカの難民も西洋の大富豪も
上司も部下も
親も子も・・
してあげる側が上ではなく
してもらう側が下ではない
たまたまその立ち位置に居るだけなんだろう
どの番号に納まるか判らないルーレットは
人生のあらゆる場面で回転し続ける
ある一つ状況は誰にでも起こりうる
自分がいつ逆の立場に立つか判らないし
たまたま第一の当事者でないだけで
既に同じ出来事を共有してるんだから
どっちが幸も不幸も、優位も劣勢もない
その事実により
直接的に、間接的に影響を受け
それぞれの立場で考え、揉まれ、行動して
それを取り巻くあらゆる立ち位置を超え
対等に成長できる
たまたま右と左のどちら側に立っていようと・・
たまに被災地にパワーを与えるとか言う芸能人がいるけれど
きっとそれは大きな思い上がりなんだろう
だから「被災地の人に比べれば・・」とか想う心も
既に自分が優位だと勘違いしてるんだろうな
被災地の人々はそんな風に想われたくないだろうし
上から目線で同情されたくもない
自分が逆の立場ならそう想うだろう
現に被災地に手を差し伸べる行為(ボランティア等)で
都会の日常で迷子になった自分自身を
それにより精神的に埋め合わせられてる人も沢山いるんだろう
被災された当事者は口に出さなくとも
そんな微妙なニュアンスを感じ取ってると想う
「頑張って!」なんて
気休め言われると胡散臭いんじゃないか?
「逆にお前が頑張れ!」って思うだろうな
それでも、「支援して頂いてる」
と想える感謝と優しさで包んでるんだろう
支援する側、される側
いったいどちらが優しいんだろうね?
どちらが上で下で、どちらが右で左?
結局同じカタマリの中・・。
同じなのに意識的に距離があるから
軽薄に映る部分ができてしまうのかもな
家族の一人が苦しい状況になれば
その家族は同じ気持ちで超えようと想うもんだ
ココロを想像して同化する作業があり
その先になんとか一緒に元気を取り戻す苦難がある
他人の家の不幸は
かわいそうと想うけれど、こちらは安全地帯
そんな雰囲気の中から発した「元気」は空回りする
まずココロを同化する作業を、本当にできる人と
そうでもない人では
同じ善意でも違う
きっと世の中
そんな単調で薄っぺらいことはなにもない
例えば金持ちと貧乏の解りやすいギャップは
金持ちは高揚し思いあがり、貧乏はひがみ妬みがちだけど
そう想うこと事態どちらも同罪でどちらも醜い
お金というアイテムを中心に
意識的に勝手にそれぞれが上下に分かれるから
軽薄に観えてしまう
どんな状況であれ関係なく、本来人は豊かなんだろう
お金が有り余る人でも寂しげなココロはたくさん見えるし
お金がなくとも大きな豊かさを備えた人々は多い
物質的に不平等に見えることは当然多いけれど
やっぱり人間皆平等に、成長の機会を与えられているらしい
違うように見えることは、同じこと
違う陣地に居る、と想うことも
目の前にその事実があるのなら、波は確実に連鎖する
・・だから同じこと
安全地帯からの同情で、いい人らしき人になるより
同じ気持になって自分のことを頑張ったほうがいい
そうすることで、その波はまた廻り回って
結果的に復興の手助けになるはず
やじろべぇの平均は
対等な視点からモノを見た時にだけ保たれる
でないと
せっかくの行為も角度のずれた
大きな勘違いの自己満足になってしまう
・・かもよ
日本列島も東西平衡、今は西側の牡蠣のベニエ