2018年06月21日

ブログ休止のお知らせ。


同じ時代を歩き

共にそれぞれの人生を戦う同士たちへ



さて、このブログ

日々、想いのまま・・人生の料理



しばらくの間お休みさせていただきます。

長年に渡るご愛読ありがとうございました。




またいつか、どこかで・・

その時まで、互いの歩みに GOOD LUCK !




その道のりで起こるすべてのことは、

ゆらゆらと揺れたあと

最後にはきっと感謝へとつながるのでしょうね


そう信じております




不平不満に囚われれば

ずっと不幸が確定される




感謝することをできるだけ多く探し出せば

ともかくずっと幸せは確保されるものだ




右にも左にも悪魔がいます


しかしその悪魔どもは、

自らがの向上のためには必要悪だったりします


ならばやはり感謝ですね




あなたに天使が舞い降りますように !!












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2018年06月16日

地久


自分くらいは自分のこと信じてやれよ


それが自らに降りかかる

あらゆる障害に立ち向かう力になる



人から評価されるために生きるなよ

あるゆる偏見に振り回され疲れ果ててしまうから



合理性と成果ばかりを考えるな

心が伴わないものは

やがて消えて無くなり虚しさに変わるもの



自分のこと

自分で簡単に馬鹿にしないほうがいい

例えば誰かがあなたを馬鹿だと言ったとしても・・



ほんとはどちらが馬鹿かわかりゃしない

人間などそんなものさ



自分だから自分をけなしたっていいだろって思うのなら

それは違うよ



やがて蓄積され大きなダメージになってしまうからさ




人に寄りかかり過ぎちゃいないか?


人目ばかり気にしてないか?


本当はぜんぜん無意味で関係ないものに

いつだって心を惑わされちゃいないか?




自分くらいは自分のこと信じてやれ




それだけが、

やがて大きな根を創るのだから




上物はやがて風と共に消え去るもの




大地は永久に残り

根ざした諸々を幾度でも再生させるもの











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根野菜のエチュベ

題して

味のあるものたち



芋も人参も大根も、

皆自分を信じてる



自分を信じられるものは

地球に太い根を伸ばし

その主体にはふくよかな味が備わっているものだ



何かの生産性と合理性の波に捲かれ

自分を信じきれないものは見かけばかりを繕い

水っぽくて味けないもの


















posted by 真中 at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年05月22日

円のなかの出来事


太陽とか月とか、この地球

遥かに遠い宇宙の彼方に輝く星まで

円いね、と言うか球体


四角とか三角とか、全然歪んでいるとかじゃない

星に成りきれないものはイビツなものが沢山あるけれど



この物質世界には様々な形が存在するけれど

〇が終着点、最終形、完全体、

力学的に最強なのかもな?



たとえ綺麗な四角柱や四角錐、三角柱や三角錐の

強固な要塞をこしらえ戦ったとしても〇には敵わない



その ”角” に

自らの主張を集結し強調してしまうからだろう



強調した瞬間同じエネルギーの反動が働き

またそれに対する反動の連鎖を永遠に繰り返すことになる



球体は全てを吸収しその力みのない自然体は

他を和ませ脱力させる



戦うために鍛え上げられたマッチョマンでは勝てやしない

そもそも次元が違うのだ



形あるものの中になにがある?



いや、何もないのかもしれない

案外ありそうでなんにもないものも多いからね



でも確実になにかがそこに有ることがある



それはさ

どこかの誰かが込めてるんだよ



円くて深くて広くて余裕のあるものを・・



込められたものは

触れてみれば解るもの



それは誰かが込めたのかもしれないし

誰かが込めてくれないとしたら

自らで込めたかもしれない



たとえばもしも孤独なら、

人知れずあの星を証人として契約を交わすさ



孤独とは、人恋しい淋しさの代償を支払いながら

天から特別な知恵を授かること



孤独は人を賢くする



それもまんざら捨てたものではないね



はたまたなんにも込められていないものの、その空虚さも

触れてみれば解ってしまうもの



やがて空虚な箱には違うなにかが入ってしまうよ



その隙間に偽者が差し込まれたときはかなり厄介になる

抜けだすまではしばらく遠回りすることになるだろうな



まぁそれすらまんざら悪くはない

大きな負に気づけば

大きな正へと反動することがあるから



でもいずれ自ら吐き出し弾き飛ばせなければ

もしかしたら一生ソイツに取り憑かれるかもしれない



偽者は皆本物の顔をする



成果主義のこの街では、

真心よりも銭勘定が先に立つからもはや魔物の巣窟



ここにはニコニコした魔物がたくさんいるね



悪意に満ち底意地の悪い者達が多いから気をつけて・・



”真心”など、公明正大に偽モノを掲げ

煌びやかに表面に貼りつけておけばいいのだから



”思いを込めて、心を込めて、愛を込めて”

”絆、つながり、優しさ、思いやり・・”



あからさまに表現し、主張し、アピールしても

誰も本心でそんなこと思っちゃいない



そこへ辿り着く想像力もないのに

言葉だけが独り歩きで酔いしれる



綺麗な言葉を張りのつけたガラスのバリヤで性根を隠す

自己欺瞞も甚だしいのだ



自己利益のためのアピールは

印象操作からマインドコントロールにまで及ぶ



真心とは何も言わず人知れず込めてゆくもの

本物とは無言で示すものだ



顔だけつくって

悪魔はいつでも神のふりをする



あからさまに口にだし

善良さを主張する者を見つけたらよく視てごらん

たいがいは内面の多くを魔物に支配されているものだ



その最大の特徴は

自覚がないこと



すなわち自らをも欺き思い込んでいる自己欺瞞となる

裏にはいつだって利益計算があるものだ



だからいいとか悪いとか

そんな単純なはなしをしてるわけじゃない



皆自分のことでいっぱいいっぱい

そのギリギリの心の隙を突かれるのだから



誰もが我先に利益を求め、安全地帯を求め、

思いやりを持ってとか言いながら誰かを踏み台にしてる



自己犠牲を伴う無償の愛を宿すなんて至難の業である



それが人というものだ



それがこの街の

ありふれた日々の出来事・・




形あるもの




油断すればすぐに魔物が差してくるから

彼らのつけ入る隙もないくらい

先に愛を込め続けるのさ



もしも先手で魔が差していたら

外側から愛をもって溶かすしかない



ここは愛と魔のせめぎ合い、

天使と悪魔のせめぎ合う場所



右を見ても左を見ても

どちらが多く陣地を取るかのシーソーゲーム



人間はおろかオモチャや家や車や石ころだって

存在するあらゆる物質がそれぞれの歪な形のなかで

いつだって陣取り合戦してるアメリカンフットボール



この大きくて円い地球のフィールド上でも

常にその両者が陣取りを繰り広げているように・・



そこは自らを正当化しながら

我がもの顔で反則ラフプレーが横行する場所



元々愛に満ちた球体のこの星は

今どちらが優勢ですか?



もしも魔物が上回ったら、

やがてその円を保てなくなり破裂するんだろうな



あなたの心は今

天使と悪魔のどちらが優勢ですか?



あなたの心は今

どんなかたちをしているでしょう?



愛らしき偽善や欺瞞は魔物の大好物

正真正銘の愛でなければ負けちゃうのさ





愛を心得たら黙って静かに込めてゆく

そのエナジーが勝るとき

イビツだった形は徐々に円い空気を帯び

その渦巻は時間をかけてやがて最強の完全体を形成する




その時はじめて

空に輝くあの星と共鳴できるのかもな?




・・・・・・・・・




そして、

あからさまに愛を主張してるこの私こそ

多くを魔物に支配されているから



騙されぬよう・・気をつけて、、







それがこの円い星のなかの

ありふれた日々の出来事










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キタアカリの新ジャガイモの揚げニョッキ
男爵イモのムースリーヌとパンチェッタを添えて






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ホワイトアスパラガスのソテーとフキノトウのかき卵
ネッビオーロランゲの赤ワインソース





題して

円のなかの出来事


















posted by 真中 at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年05月12日

その奥のタカラもの


眩い五月の陽射しに

すでに咲きはじめた白い紫陽花が

やけにくっきりと浮かび上がっている


その光は川に架かる橋の下まで斜めに差し込み

ひっそりとした碧い苔までが鮮やかに浮いて見える


徐々に重い色のグラデーションが重なり

やがて影のエネルギーが上回るころには

目がちかちかして追いつかず

黒板みたいな深緑の闇が覆いかぶさって

その奥はもう視えない



碧く美しいその苔は

ずっと奥まで続いているだろうか?




足りない言葉をそのまま理解するより

その言葉の隙間を感じ取ってみたほうが真実が視える



描かれた絵画は

強く描き殴った部分より

その影と擦れた余白に本当の姿が視えるものだ




見えているもの

光の当たったもの

強く主張するもの


そしてそれらとは相反するもの・・




その主体の脇に広がる闇とか空白とか

明確なものよりもっとモゾモゾとして

はっきりしないモノたち



それらが視えたときはじめて奥行きが生まれ

本当の実体が現れるのだ



真実はそこに見えているものじゃなく

表には見えないスクリーンに浮かび上がるもの



語られた言葉じゃなく

語られない言葉の隙間に浮き上がるもの



表現されたものはみな単調な着色がすぎて

見る者を麻痺させるのだ



光の当たるものだけを見ているのなら

それはもしかしたら

既に麻痺してしまった目で見ている錯覚かもしれない



白い紫陽花は月灯りの下で視れば紫にみえるもの

見え方など心の有り様でどうにでも変わるもの



真っ昼間に白が灰色に見えたり

鮮明な緑が黒く見える人だっているのだから・・



同じものを見ても

誰かは白で、誰かは灰色で、誰かは青で

それで誰もが皆自分が正しいと言い放って聞かない



その見えた色を基軸にそれぞれが走り出すから

この街はいつでも

色覚検査の絵みたいにガチャガチャしてる




真実を視たいのなら

あえて目をつむって視てみることさ




この場所が、

どれだけ虚像で満ち溢れているかまで

視えてしまうかもしれないけれど・・



それはとてもショッキングなことだから

視たくないのなら相変わらず盲目でいたほうがいい



信じられるのは人の心

信じられないのも人の心




いつだって同じものたちが戦っている

いつだって皆、

どこかの敵と戦っていると錯覚しながら

結局自分と戦ってる


目がちかちかする光と影の狭間で・・




それでもあなたが断じて微笑むのなら

その錯覚の隙を突いて陥れるのが大好きな

さすがの悪魔ももう手出しはできない




あなたは自らを費やしながら

わき目も振らずどこまでもこの灰色の街を走りぬけ

必ず誰かを安心させているだろう



疲れたボロ雑巾を絞ったみたいな笑顔でも

その皺の深みは

誰かに温かで最強の安堵をもたらしているはずだ



本当は判らなくて心細くて手探りで何かにすがりたくとも

その決意を秘めた微笑みは

大切な誰かにとって鮮明な道しるべとなっているもんだ




その一見明確さに欠ける危ういものが

本当は圧倒的で揺るぎないものとなる




それはこの不連続の荒れた地で

もっとも称賛に値すること




光と闇の狭間で心の奥から絞り出す笑顔が

どれだけ大変なのか、



誰もが知っているから・・











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アガぺ風、みつまめ

山形佐藤錦と宮崎マンゴーと黒蜜の葛切り

黒タピオカとナタデココ、ライムのソルベを添えて

そしてもう一つ、揺るぎない何かが芯に隠れてる

それはいったい何・・?


題して

”光と影と、その裏にあるもの”























posted by 真中 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月24日

葵色の花


長く続く晴れた日々に

長く続く細い坂道には

新緑の隙間から淡い光の玉がこぼれる


その脇に建つ家のベランダには葵色の花と

干した白いシャツがそよ風に翻っていた


半透明の空には

気の早い夏の積乱雲に成り損ねた大きめの雲が

ぽっかりと遠くて低い場所にかぶさっている




誰もが何かからやっと解放されたように窓を開け放ち

その表情は初夏の陽射しと同じくらい穏やかだ




”悪いのは誰?”


そうずっと言いながら

自らを省みず利己的な正義を掲げ

感情にまかせ勝ち切ろうとするこの街では

湧き上がる愛をもって解決する人は

もう珍しくなったけれど、

ひと時の憩いに

まるで何事もなかったような平穏な日々が

この道みたいにずっと遠くまで続くような錯覚を覚えた




腰の曲がった白髪の老婆が不意に目の前に現れて

杓子定規な笑みを浮かべ袋小路の小道に消えた


ひらひらと

紋白蝶が老婆を追いかけ路地を曲がる


そのあとで蒸しあがった碧い草の匂いがした・・




それぞれに別々の道を歩んだ末に

今こうしてほんの一瞬だけすれ違っている




少し強い風が吹き抜け

むらさき色の若葉が舞いあがったら

でっかい蝶とでっかい老婆が現れる



それで急に凶暴になり街を破壊するわけでもないが

老婆は紋白蝶を引き連れ

袋小路の奥までずっと進んでゆくのが見えた



何の変哲もないこの街角で

古い井戸が枯れている



老婆はただ寂しげに井戸を覗き込んでいた




求めるばかりで与えられないこの街角でまた水が枯れる




ほんの小さな関わりに

一つのコミュニティーが生まれやがて社会になるが

ただ身の周りに都合のいい者だけかき集め

それ以外は無関心で互いの存在すら気づかないでいる



そしてまた水が枯れてゆく



やがてお祭りが去ったあと

人は孤独になるのだ



もしも孤独を感じるのなら

それは無知の証



人が居ないのなら、

そこには空もあるし花もあるし星だってある

精霊もいれば天使もいる



皮肉なことに、

凛として自然と対話している者には諸々集まり

思惑と感情の中で無理にでもかき集めたような者からは

やがて諸々去ってゆくものだ




ただ上手にできなくて、それで強がって

全然平気なふりをしても本当は

人は皆どこかでつなかりを求めてる




その婆さんは引き連れた紋白蝶と伴に

いつしか巨大化した


まるで自らの存在を知らしめるかのように



老婆は間もなく死を迎えるのだろう

やり残したこととか、言えなかったこととか、

いろいろな想いのなかで・・


それは一見悲しい姿にも視えるが、


たとえばもしも人間に永遠の命が与えられたとしたら

いったいどれくらいの人が喜ぶだろうか?



人はほんの短い命だから頑張れるのではないか?



もしも人生に終わりがないのなら

とてもやっていられやしない



強制で終わらせたくなる人の方が多いのではないのか?




どの路そんなに遠くない将来確実に死ねるのだから

それまでは頑張るし、感動もするし

せめて懸命に善を保とうとする



木々が覆いかぶさって先の見えない坂道の

その長いようで短い道の上で


人はわざわざいがみ合い、

時に嫌な奴になってまで懸命に自らを主張し、

そしてどうしても死にたくないと生にしがみつくものだ



時がくれば死ぬのだから

ジタバタしなくていい



ぜ〜んぶ逆さまの想い違いだったかも知れない



誰もが当然のように死を嫌い避けるものだが、

死が不幸ではなく幸福なことだとしたら・・




いつか死する、その約束ごとに感謝する




それまでは、

できるだけ多くの愛を、幸せを啄ばんで

きるだけ多くの愛を、幸せを

他に与えることだ


時が来ればそれを丸ごとただ次にバトンタッチすればいい


後腐れなく、未練を残さず、すっきりくっきりと





朦朧とした晴天の白い霧の中で

道の上に一羽の鳩が舞い降りる



彼は何かを啄みながらふいに哲学を語る



”現実は壮大に仕組まれた夢”

”死はその夢から覚めること”

“生と死はただ時間と場所と記憶が変わること”






路地裏の枯れ井戸に水が湧き上がるのが視えた


坂道はずっと遠い空まで続いてゆくようだ


新しい命の隙間からこぼれた光の玉のなかを・・





どこか懐かしいような知らない街の

遥かに続く新緑の坂道を歩いてる・・





夢をみた









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グリンピースのヴルーテとグレープフルーツの泡






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グリンピースのラテ



題して

”碧い夢”




生のグリンピースがではじめました

グリンピースが嫌いな方は多いようですが・・

それは冷凍のグリンピースを食べているからでは?





















posted by 真中 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月04日

自由論 / これからを担う若者たちへ


自由に伸び伸びと

個性を大切に

あるがまま、ありのままで・・

ナンバー1より、オンリー1


そういうことを推奨されてからもう久しい



しかしそれで開花する若者は

ごく一部の天才だけだよ



大多数はその想いのために返って失墜する

それらは単なる気休めの怠慢と同じことだから


なんの努力もしなくとも

誰だって初めからありのままのオンリー1だろ


オンリー1じゃないヤツなんかいるのか?



そんな気分でいられるのは過保護な親元にいる間だけだ



事実は全然自由じゃないし伸び伸びとなんかできない

あるがままの姿でいいわけないし

勘違いした態度とったら知らぬ間に干されるよ

”君は何にも悪くないからね”とか言われながら

本当の理由を告げられないまま徐々にFADE-OUT

なぜダメかなんて一々教えてくれない

自分で解らない段階でもう省かれてる



この社会で個性を生かせるのは

あるポジションに達した者だけだよ



思い通り、希望通りになんかいかないし

実態は我慢と辛抱の連続だ

適当にあやされチヤホヤしてくれるのは

最初の3か月だけだろう



それでも八つ当たりせずにどう探究して面白がるか?

自分を冷静に分析し、自棄を起こさず、ひねくれずに

内面と葛藤し徐々に変化しながらどう前を向くかだ



本当に自由になりたいなら

世を捨てどっかの田舎で自給自足の生活をするか

散々不自由な場所をあえて通過しながら

スッタモンダの末自分を改造して

ごく自然に感謝できる心境に到達するかだ


苦しいと思っていたことがやがて愉しみに変わり

不自由だったことも段々自由へと形を変え

向き合っているものに意味を見いだせたら

それが真剣にもがいた証しだから

その中にのみ微かでわずかばかりのチャンスが潜んでいる


そのチャンスは小さそうで案外大きかったりする


それでもランクが上がれば上がったで

また違う苦労がつき纏い

終わらないゲームに更に挑むことになる


その頃にはもう苦しみとかじゃなく

違うニュアンスになってるだろうけどね




古いとか新しいとか時代がどうとかは関係ないし

今どきの若い者はとか、昔はどうだったとか

そういうのじゃない

どんな時代であれ同じ道理がある



”根本的に価値観が違います!”って言いたいのだろうが

結局時間を経過したあと同じところに帰ってくるのさ


人間の本質とか人生の意味合いなんて

時代では変わらないんだ

時代で変わるのは景色とか道具とか情勢とか

個別の出来事だけだよ


嘘だと思うならせいぜい新しい時代の価値観で

過去を否定し進化した素敵な未来を歩いてみればいい


結局100年前、1000年前と同じことで揉め

同じことで悩み、同じことで裏切られ、同じことで憎み

また同じことで愛を知るのだ


たまたま平安なゆとりの時代になったり

戦時下になってストイックになったり

ウエーヴのなかを行き来してるだけで

その時代時代の価値観はファッションみたいなもの

それで人間の本質まで連動して変わるわけではない



ファッションは見かけの美は変えられるが

内面の美までは変えられない

時代の進化でいろいろシャープでスマートになるが

自動的に連動して個々の内面まで進化することはないのさ

だから努力もしていない自分を便乗値上げしないで!



時代にかこつけ都合のいい解釈の気休めばかり言って

まるで過去の苦しかった自分の歩みを否定するように

根本的に全部変わったみたいなこと言いたくて

自らを正当化してる親とか大人達が多いから気をつけな


苦しい歩みは上辺のファッションじゃ変わらないのね


それは周りのキャスティングを入れ替えてもダメだし

制度を換えてもダメだし、服を着替えてもダメなの

自の内面を変えるしかない作業なんだ


そしてその大衆に突き動かされる

票が欲しいだけの政府とかもさ


裏ではコソコソ血税を私物化し垂れ流してるわりには

表面ではウケ狙いの気休めばかり言ってる

みんな服を着替えるだけで騙そうとするから茶番になるの

内面を変えないとなにも進化しないでしょ



この国は結構な確率で茶番なんだ



甘い話には落とし穴ばかり・・

それで良かったら誰も苦労しないのね



聞くならあえて耳の痛いことを聞き入れ

学ぶなら気休めの嘘じゃなく

研磨されながら楽しみを見つけだす本質を学び

それを頭じゃなく体で感じながら夢を見なよ

夢は現実と連動しなきゃ意味がない



散々何にもない自分に自由だ個性だとのぼせれたあと

なにかあればいつでも誰かのせいにして

やっと自の愚かさに気づいたときはもう遅いからさ



その後はいい歳になってから

ずっと思ってくれていた人といがみ合うことになる



その時、履き違えた愛情を公明正大に掲げ

我が子に都合のいい気休めばかり言ってきた親は

どうするんだろうね?



相変わらず歪んだ解釈をして

話をすり替え誰かのせいにしちゃうのかな?



まだまだ若いこれからの人へ



自らをもったいぶらず100%費やしてください

時代と逆行したこと言って悪いけど

損した気になっても結果的に何にも損なんかしません


そのすべてはやがて自分に返ってきますよ


計算ばかりの駆け引きをして費やさなかった自分も

費やさなかったセコイ雰囲気がそのまま返ってきます

例えばそれで一時的にお金儲けができたとしても

違うニュアンスでそのセコさが返ります



その時はくれぐれも人のせいにしないようにね



手っ取り早くおいしい話ばかり求めてないで

自らを費やしてください

費やしてなんぼだよ



結果最後にどれだけ自分に幸が返り

その反動で人にどれだけ幸を返すかだけだ



そのゲームに全エネルギーを注げば人生は面白くなる



その振り子の力学を

最初から小さな振れ幅にしないほうがいいよ



そういうのきっちり教えてくれる大人が少ないから



なんかみんなビクビクして

言っちゃいけないみたいになってるの



要は時代のせいにした単なる自己保身なんだ



まぁ確かに

親バカの反撃を一々相手にするのもメンドクサイしな



くれぐれも損得勘定ばかり考えてる

小っちゃい大人になるなよ!



今、なんにも努力してない、なんにもない人が

自由だの個性をリスペクトしろだの

我が物顔で叫ばないほうがいいよ

滑稽だから


それらは散々もがいた後、内面で勝ち取るものです


手っ取り早く服を着替えたって自由は手に入らないの

自由にさせてくれない周りが悪いんじゃないの

全部自分の内面の小ささがのその不自由を招いてるのね

勘違いしないで!


時代の進化により使っているアイテムが変わり

無駄を省き、処理スピードが速まり、

個別モジュールで細分化された機能を取り替え、

時の密度も変化して景色がどんどん移り変わるけれど

それで人間としての課題までもが簡素化され

楽になったわけじゃないのね



残念な親たちは我が子を苦しませないように

不自由のないように上辺の洋服を着せ替えようとするのね

その我が子の方も、イヤなことを言わない

友達みたいな仲良しの親が大好きだから誰より信じるよね

でもちょっとしたことでバランスが崩れれば

耐性や免疫が鍛えられてきていないから

被害妄想の中お門違いの八つ当たりをするようになる


本当の人生の害はその親だったりする


だからって親と縁を切るとかじゃなく

誰よりも貴方を思ってくれているのは間違いないのだから

大切にしながら

早々と精神的に自立をするんだ


歳取ってから気づいてももう遅いんだよ


そしていつか親に教えてあげなよ

いつまでも子供に依存しないであなたも自立して、って

ありがとうね、感謝してるよ!、って


何が真理かよく考えて歩きな


時代が主体じゃなく自分が主体だ

時代に乗ってる気になって一緒に沈没しないでね


今楽しいことがやがて虚しさに変わる時がくる

楽しいことが楽しくないと気づいたとき

その時またよ〜く考えて

本当の愉しさを探してみなよ


優しいことが優しくないことに気づき

冷たいことが冷たいのではないことを知ったら

また本物を探してみな


今絶対的に信じているものが信じられなくなることがある

そして必ず虚しさに変わるから

そのときは苦しみの中で本物を探してみな

苦しみの中でしか視えないことがあるから



苦しみを知るから本物の愉しみを知れるし

不自由を知るから本当の自由を見いだせる

闇のなかを通過すれば本物の愛が視える



苦しみも不自由も闇も拒絶すれば

目の前にはキラキラしたガラスの偽者しかないのね

それをダイヤモンドに見せかけようとしても

光のレベルが全然違うんだよ



せいぜいもがき苦しんで

それで被害妄想の中八つ当たりしてグレれば

あなたは相変わらず甘えてるだけだし

グレずにずべて自己責任として解決してゆけば

あなたは自らの弱さを心得て強くなったし

それが全部内面の変化に繋がる肥やしになるから

嫌がらず避けず逃げず恐れないで

その不自由さを大事にしてみな


真っ直ぐ向き合っていれば

何かが視える瞬間がきっとあるから



やがて本当の自由に変わるまで

やがて本当の愉しさに変わるまで




いつか、

使い古しの擦れたTシャツ着てたって

内側から眩い光を放ち

あなたの瞳の色はきっと深くなっているんだろうな




その瞳で視わたす世界は

碧く、広く、深く、静かで、




自由だ











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2018年03月23日

北風と太陽と、少しづつ春


寒すぎた冬のあと

少し早めの春が訪れる


相変わらず陽が昇り、陽が沈み、

徐々に陽射しの角度を変えながら

やがて北風は南風に代わる


遠くの山の雪解けに

川には大量の水が流れ込み

斜面には土筆とフキノトウが芽生え


そして桜が咲き誇り

また散って・・


そうやって少しづつ確実に表情を変えてゆく




激しい風雨に晒され

時に横を向き、下を向き

ザラザラのヤスリで研磨され

それがとっても痛くて


少しづつ揺れながら

やがてその痛みにも慣れたころ

また上を向けるようになる・・




荒れ狂う大地のなかで

草木は水と太陽に飢え

人はほほ笑みと愛に飢えている




道標のない道の上を歩けば


誰もが淋しく

誰もが悲しく

誰もが苦しく

誰もが空しい


誰もが未熟で

もがきながら答えを探し


誰もがその時の感情でいろんなこと言っては

またわからなくなって


誰もが目印を見つけだし信じようとするけれど

そうもいかなくなって


それでも誰もが優しく

気を紛らしながら今を楽しもうとしてる



時に後ずさりして

時にしゃがみこんで

時に立とうとしても立ち上がれなくなって

それで随分後退してしまったような気になるけれど

それは後退じゃなく

やはり前進していて



もうなんにも力が入らずに

心が疲れ果ててしまったと錯覚しても

その生命はやはり太陽を求めてる



時は絶対的不可逆性に委ねられ

後戻りできない現実をただただ前へ進め


人もまた絶対的不可逆性に委ねられ

自分だけ取り残され落ちてしまったと錯覚しても

それは落ちたのではなく

長い時間を経て、上昇するための礎を築いている



時に関わりのなか傷つけられた気になってしまうけれど

それは傷ついたのじゃなく磨かれたのだ



もしも傷つけられたと思うなら

相手はもっと前に傷つけられている



人は被害者認識は強いが

加害者認識はなぜだか弱いもの



時に自らを哀れみ惨めに想えても

それはただ一つの景色を経過しているだけで

すべては咲くために蓄えられている



自分を哀れむ心は

同じように誰かのことも哀れんで

それは一見

優しさの連鎖につながるような錯覚をするけれど

哀れむ心とはすべてが屈折へと向かうもの



過剰な涙ほど品のないものはない



それはやがて自己逃避とか責任転嫁へと続く






大切なことは

誰かより頑張ることじゃなく

誰かより優位に立つことじゃなく



最後までその足で歩き抜くこと

最後までその道のりを味わい尽くすこと







寒すぎた冬のあと

暖かな春の朝の陽だまりに



その桜は可憐に咲き誇り

ほんのひと時だけ

ささやかに視るものを魅了する



そして立ち止まることなく

なんの未練も残さず

真っ白く燃え尽き、鮮やかに散りゆく







ずっとなにかを想い違いしながら

今年もまた散りゆく桜の前に佇み

めくりめく季節をただ見送ってゆくだけ



















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2018年02月18日

生命の味わい


噛めば噛むほど味のあるヤツ

噛んでも噛んでも味のないヤツ

人間もいろいろだが、


この冬最後のジビエ

青首鴨、霞ヶ浦産

当然だがジビエは野生の動物なので姿のまま店に届く

従って素手で毛をむしるところからはじまり

内臓を取り出しその内臓までも調理する


生命を喰らう

それをリアルに感じる野生料理


いいとか悪いとか

そういう不毛な討論をするつもりはない


人間は誰もがその生命を喰らい

自らが生きながらえているのだ




料理人とは

その生命を料理する人のことである




その認識が薄く自らのパフォーマンスと見かけ重視で

料理する者も多い

彼らは鯛の頭を捨て、大根の葉を捨て

自分が使いたい部分しか使わないものだ



料理は常に自然の恩恵の下に成り立っている

料理する者が自然より上に立つことなどない



一般家庭においても

簡単に食品を廃棄する消費者も多いらしい



調理する側も食べる側も

オブラートに包んだようなご都合主義はよしてくれよ



そこには多くの命が犠牲になっているのだから



人間はそもそもエゴイストであり

どうやってもその辻褄は合わない



いくらそれを正当化したくても

必ずどこかに引け目を感じるものだ



それはすべて生きるため

いいとは言わないが

生きるためである



自らが生きるために他の生命を殺め

だからその殺めた生命を生かす



殺して生かす

おかしな話だ



結局は正論ぶっただけの人間様の究極のエゴとなる



自分が生きるために常になにかが犠牲になっている

ただそれだけが真実である



料理人はその矛盾を受け止めるしかない



その後ろめたさをずっと受け入れ

ひたすら感謝してゆく覚悟が必要となる



だから半分捨てるくらいなら最初から殺すなよ

動物であれ、植物であれ・・



いい歳になった

この先はただただ犠牲になった生命の個性とその息吹を

ひたすら伝えてゆこうと想う




今日も世界のあらゆる人間が

無理にでも自らの行為を正当化し

後付けの理由をこじつけ納得したがっている



この私も例外ではない



皆が利己的な理由をこじつけ自らを正当化している



したがって相変わらずこの世界に争いは絶えず・・



争い大いに結構である



せいぜい争った後、

できることならこの世が平和に向かうために

個々の個性を生かすべきだ

できることなら生きてるうちに・・



すべては矛盾の整合なのだろうから



まったくの純白な人が

この世を平和にできるとは想えない



どす黒い心が

この世を好転させるとも想えない



いつだって矛盾を受け入れている中庸、半眼がいい



真っ白いことばかり言ってもそうもいかないし、

真っ黒いことを知り、玄人気取りで酔いしれてみても

この世はそんなに捨てたものでもないのだ



白が黒を批判し、黒が白を拒絶する

その中に中庸のふりをした白と

中庸のふりをした黒がいて、更にややこしくなる



一定の正義を掲げ、誰かの矛盾をカリカリと追及する人は

自らがそもそも矛盾していることに気づいていない



核を持つなと人には言いながら自分は大量に持っていたり

動物愛護だと特定の動物を保護しながら散々魚や肉を喰い

世界平和だ人間愛だと言っているシスターと話してみれば

身の廻りのことは自己中でとってもキャパが狭かったり

不倫は最低だと言っていた人間が不倫する



保守がいてリベラルがいて中道がいて

右がいて左がいて、皆が我こそがと主張するけれど

その主張をよく聞いてみれば誰もが矛盾しているものだ



そもそも矛盾で出来上がった世界に白黒つけたがり

相手を打ち負かしたくて引かないから茶番になる



正しいか正しくないかなんて

立ち位置によって変わるようなことを

人はずっと精査したがる



人間を排除し自然だけを視れば、なんの矛盾もないものだ



人が集まれば矛盾して当たり前の世界にいて

我こそはなんの矛盾もない聖人を気取り

他人の矛盾を叩いてゆく



不倫は文化ではないが

矛盾は文化である



人はなぜかその矛盾を嫌うものだ

自分こそが最大の矛盾の塊であることは棚に上げて・・



その知恵の輪をいかに整合させるかをこぞって挑む姿が

まさしくこの世界の文化となる



音楽を聴きスポーツを観戦し演劇を観覧しては心揺らし

書物を読みあさりわざわざ頑なになって

美食だB級だと単なる好みで好きなことを語りながら

人は”人の矛盾”を味わいとする

時に無垢な大自然に浸り綺麗になれた気がしては

あらゆることに想い馳せ答えを探し続け、

そもそも整合などしないものに挑んでゆく

おそらくそれが人間の苦悩の元、修練なのだろう



人は矛盾により練れ、研磨されてゆくのだ



もしも数学みたいにあからさまに答えがあったなら

人生苦労しない



割り切れない矛盾を無きものとして

まるで割り切れたかの如く

自らを綺麗に仕立てたいのが人間である



3.1415926535・・・・・・・を

”3”だと無理やり決めつけているゆとり教育みたいに

落としどころが傲慢で粗いのだ



誰もがまず先に自らの矛盾を、

その割り切れなさを認める必要がある



それを互いに認めなければ理解し合えないのだろう



この世の実態は矛盾そのもの

その矛盾はすべて人間の物質的我欲がつくりだすのだ



人は自らが互いに発している矛盾に耐えられず

利己的な解釈をして独自の正論をつくりたがる



そしてまた争うのだ



”生命の味わい”とは

人間の発する矛盾の味わいである



人間にも養殖と野性がいるが

生命はいろんな味があるから面白い



そして人間は自分で自分を料理するのだ



誰かに料理されるとしたらそれは依存であり

行く末はたいがい不幸の味の素となる



自らの個性を最大限に生かすには

あらゆる鍋の中で揉まれたあとの

自分に対しての匙加減による



その料理はとっても難しい

が、上手くいけばかなり美味しい



・・はずだ









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青首鴨のロティー、ソースサルミ

※ソースサルミは内臓のソース

































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2018年01月14日

2018 Hà Nội


どんよりとした曇り空である

季節はとりあえず冬だ


気温は12℃前後を行き来し

昼も夜もあまり変わらない


ハノイの旧市街はずっと何かが蠢いている


よく見てみれば日本の誇るHONDAスーパーカブが

かなりのシェアを占めているようだ


まず真っ先に気になるのは連打するクラクションの

やかましい音である


この国はクラクションで明け暮れる・・


ほぼ無駄に鳴らしているとしか思えない


が、しばらくすると

それは特定の誰かに鳴らしているのではなく

自分の存在を知らせるためなのだと分かった


交通ルールなんかない

いや、あるのかもしれないが誰も守っていない

先に行ったもの勝ちだ


徒歩で道路を横切るのも躊躇するが

縦横無尽に走り去る車や原チャリの流れを遮り

思い切って突っ込んで行くしかない


そうすれば相手が勝手に避ける


そんな感じだ


おそらく目をつぶって歩いても勝手に避けるだろう


日本で目をつぶっていきなり道路を横切ったら

間違いなく事故になるだろう

なぜなら誰もそれを想定していないからだ


余裕で反対車線を逆走するし

相手もそれをすでに予測している


あり得ないことが、あり得るのだ


皆、そのあり得ないことがすでに想定内だから

結局何事も起こらない


とにかくめちゃくちゃなのだ

そのめちゃくちゃのなかに秩序がある


誰かに強制され決められたルールではない

本能同士がぶつかった先の暗黙のルールだ



食べ物は定番のヴェトナム料理を好んで食べてみた

ホテルのマネージャーから

予め情報を仕入れていたから外さなかった、が

自分のガイドブックで行ってみたところは

2軒行って2件ともすでに無くなっていた

最新のガイドブックにもかかわらず・・



フォーや春巻き、ヴァインセオ

日本のヴェトナム料理屋とは微妙に違う

細かなことを言えばきりがないが

その細かなことを見るために訪れた旅でもあった



何処へ行っても大量のハーブ類が

皿に山積みされて出てくる



それを残せば元のセントラルボールのなかに戻され

おそらく見た限りでは使い回されている


昔、船場吉兆でそれを裏でやっていて告発されたが

堂々と、客に見えるところでやっている

何でもありだ

というか日本人とは感性が違うということだ・・




想ったよりパクチーを多用していない


日本のベトナム料理は

どうやら視点や特徴付けが過剰らしい


東京でベトナム料理屋にゆけば、

必ず生のままのモヤシがあらゆる料理に入ってくるが、

ハノイで生モヤシなど一度も出てこなかった

見かけもしない


モヤシはヴァインセオにのっていただけだが

それもしっかり火が入っていた


日本のようにフォーにも生春巻きにも入っていない


ホーチミンとかダナンとかに行けば

出てくるのだろうか?

まだ一部しか見ていないので何とも言えないが・・


日本であの生モヤシを美味しいと思ったことが一度もない

料理的に間違っていると思っていた、

その確認もしたかった



言葉はホテル以外は英語すら通じない

ほぼジェスチャーと指差しだけだ



肉は鶏と牛が最もポピュラーで

少し豚肉もある

それ以外はヤギとか犬肉もある


幹線道路ですれ違った原チャリの荷台の籠の中に

たくさんの犬が生きたまま折り重なるように詰め込まれ

その顔が悲しげだった


あれは食肉用に運ばれているのか?

なんとも言えない気分になった


戌年に、あれ見ていいのか?

逆療法で、

戌年だから犬を食べてみたほうが良かったのか?


やはりとても食べる気にはなれない




シクロという三輪車に乗り市内観光をすれば

おっちゃんが1時間のところを40分でやめようとしたり

100000ドン(約500円)と最初に言ったはずなのに

降りるときは20ドルだと

急に貨幣の種類を変え大声で叫びだす

そのまま小さくなってしまえばずっと責められるから

こちらも大声を出し反撃する


それで急におっちゃんが折れる


当たり前だ

悪意があるのはおっちゃんのほうで自覚もしている


どこでも有り勝ちな光景だ



ただ基本的にいい人が多い

親切ではない、それは言葉がそもそも通じないから

お互い諦めている感じだ


ただいい人だというのは空気的に解る


社会主義というが何かを国家が配給していたのは

ずいぶん前に終わっているようで

何をもって社会主義なのかは

ちょっと旅行しただけでは解らない


土地や建物や家賃や税金や

そういうのがどうなっているか

ちゃんと入り込めば見えてくるのだろう



街はずっと埃っぽくて最後は咳が定期的にではじめた



街角では地面にシートを敷いただけで魚を切ったり

膝上くらいのところで肉や野菜を切り調理している


軒先の客も、

銭湯の椅子みたいな低いプラスチックの椅子に腰かけ

いろんなものを食べている


とにかく全体的に低い位置で生活しているという印象だ


目の前をガンガン車が行き交い、散々埃が舞っている


日本ならすぐ保健所が現れるだろう



いろいろ断片的に紹介してみたが、

建物も人もノスタルジックで素敵な国だ

またぜひ行きたいと想う




日本に帰ってきた


静かである・・

空気が綺麗だ・・

整然としている・・


その宵闇のスクリーンに

”秩序”という文字が浮かんで見えるようだ


クラクションなんか誰も鳴らさない


日本はやはりすごい、と想った

称賛すべきである


それが見栄だろうがプライドだろうが

確実にこの国は秩序正しい国である


これは村意識とか島国根性とか

異質のものを排除する力が強い民族であることからもくる


そうでなければ

ここまでクオリティーの高い秩序は生まれやしないだろう



ただ同時にその空気のなかに変な違和感も覚えた

ヴェトナムから帰りたてだからだろうか



あまりにも規律に支配されすぎてやしないか?



”規律、秩序” と

ハノイのクラクションのごとく連呼するから

かえって動脈硬化が起こる場面をしばしば見かける

それによる茶番劇もこの街では後を絶たない


どうでもいいようなことに

無駄な時間を費やしているようにも見えることがある


最近では、相撲協会の問題とか

雪で立ち往生した電車にずっと乗客を閉じ込めたJRとか、

見ていてバカバカしく滑稽だ


もっと柔軟な発想があっただろうに

それが最善策だと思い込んでいる


何かあったら自分が責められたくないことが先に立つから

行動が萎縮するのだ


日本人の規律順守とは

単なる自己責任回避の布石なのだろうか?


同じことを何度も繰り返し取り上げ、”誰のせいだ ! ”と

ずっと誰かをやっつけるまでまくしたてるマスコミも

やはりこの国のメディアのレベルの低さが露呈される

特に週刊誌は最悪である



マスコミのレベルの低さイコール

国民のレベルの低さとなる



最近は週刊誌が先行で

それにテレビが便乗してまくし立てる



テレビ業界も落ちぶれたものだな

ハイエナみたいな週刊誌から

さらにハイエナみたいにおこぼれを頂戴し

我が物顔で煽り立てるのだから

自らの取材力の無さを露呈してる



あれ裏で週刊誌から情報を買ってるんだろ?

ショウモナイ・・



しかも彼らが日々時間を割いて垂れ流しているネタを

日本中が興味があると思っているのだろうか?



ただ視聴率が上がるからやっているのだろうから

やはり、すなわち国民のレベルだろ



誰かが打ちのめされるまで晒し者にして

それで気持ちが満たされるのだろうか?



だとしたら相当すさんでる

それを面白がってずっと見ている側も同じように醜い



要点だけ報道するならまだしも、

くどくどねちねちいつまでも追及するから

誰かを社会的に処刑しなければ収まらなくなる


成敗して

正義のヒーローにでもなった気でいるのだろうか?


人の営みなど

分りもしない外野がすべてを白黒つけられるものじゃない


間違えたら反省して変化すればいい

その先の身の振り方は自ら決めることで、

世間が圧力をかけ誘導することじゃない

社会が寄ってたかって処刑しなくてもいいのだ


本当の死刑のボタンは係員3人で同時に押し

罪の意識を和らげるというが、

マスコミの煽り立てる処刑は、

数百万、数千万の人間が同時にボタンを押している

さぞ、罪悪感が薄れるのだろう


自分はそんなに完璧なのだろうか?

人のことは顔出し名指しで舐め回すように批判しておいて

自分は全面マスクをして出てくる某週刊誌編集長殿

コメンテーターにずっと不毛な議論をさせる

各ワイドショーのプロデューサー殿

他諸々各位・・


せめて一筋のポリシーがあるのなら

堂々と顔を出し、その志を語ってみて欲しいものだ


そんなもの有るわけないか

単なる金儲けの野良犬なのだから・・


もはや餓鬼のいる地の底に堕ち、気品も節操もない

冷たさと薄情さ以外、優しさなど微塵もない


メディアもピンキリだから

立派なジャーナリストもたくさんいるだろうが

メディアには人を洗脳する力があるのだから

そこに胡坐をかきその権力を弄んでいいのかいな?



マスコミ批判はさて置き、例えば相撲協会だって、

散々モンゴル力士を都合よく盛り立て役に使っておいて

その危険性や確執や歪が想定内になかったのだろうか?


それとも、知っていて知らぬ振りをしたのだろうか?


事実は後者だろう


分っているくせに

改善策を練ったり、腹を割って話し合ったり、

具体的に指導したりせず、

何かあったら誰の責任だ、となる・・阿保だ


そこに何もせず胡坐をかいている輩が

たくさんいるってことだよ


国政議員も、地方議員も、官僚も、学校の教員も

都庁も、銀行も、メディアも、東電も、JRも、他諸々、

皆同じである


組織はいつだって間違いを認めない


組織が大きければ大きいほど多くの者が胡坐をかき

旨味を搾取している上層部の個人が隠れ、

一番弱いところに歪がゆき、問題の本懐を煙に巻く


本当にとぼけた社会である


そんな分かり切ったことをくどくど、

ああでもないこうでもない

誰が悪いどっちのほうが悪いってずっとやってる

終いにはお門違いの者を葬り・・The end


ずいぶん前だが

コンニャクゼリーを喉に詰まらせ亡くなった事件で

散々メーカーが責められた

あれを見て意味が解らなかった

別に毒を盛ったわけじゃない


悪いが食べる側の想定力や注意力

諸々の反射神経はどうなんだろう?


かと想えば毎年年始に餅を詰まらせ多くの人が亡くなるが

それはメーカーの責任を問わない


餅は国民食だからか?


幅の広すぎるものは地震にあったような扱いになる


同じことなのに、

特定のオリジナル商品を作るメーカーのように

責めようがある小さな的はとことん責められる


例えば人が人を殺せば当然殺した側は裁かれる

しかしマスコミが煽り立て

大衆が処刑すれば殺した側の責務は問われない


大衆とは気楽なものだ

個人が隠れられるからだよ


その隠れた個人個人が今の日本で一番陰湿なのだ



日本の社会は所詮茶番である



未だ発展途上のヴェトナムみたいに、

人間が元々持っているリアルに対抗できる反射神経など

この国からは、とうに退化しているのだろう



なにかあれば分かっているくせに

はじめて知ったみたいな顔をして

誰かのせいにしたい日本人


誰が悪いんじゃない

皆、自分が悪いんだろ

関係しているのに傍観しているだけの個々が悪いのだ


しかし自分のことはいつでも棚に上げる

誰もが自己保身の塊である


はっきり言ってしまえば

この国は外ズラがいいだけで内面はとっても病んでいる


ちょっと気配があるだけで

ハンドルを切るなりブレーキをかけるなり

その反射神経がないのなら事故になる


ノーブレーキで突っ込んでおいて

事故った後まで自分じゃない、誰のせいだ?

と戯言を並べる始末・・最強のアホだ


ヴェトナム人なら自分の反射神経の悪さを恥じるだろう

それは守られていない人間達の暗黙の掟である


すべてが自己責任だと心得ているからだ




だからハノイに着いたとき若々しさを感じ

日本に帰ってきたら、人々が皆老人に見えたのだ




野晒しで体当たりして生きている者と

強固な建物のなかで

守られるのが当たり前と思って生きている者との差だ


生きるためにただひたすら生きている者と

他との優位制のなかで見かけ重視で生きている者の差だ


原生林と

綺麗に松や柘植を切り揃え整備されたお庭の差だ


整備されたお庭でずっと手厚く飼い慣らされていると

それが判らなくなる



後者は、もしも挫折したとき

人間はそもそも、ただ生きるために生きている

そのシンプルなことを忘れてしまう



生きることに直接関係ないどうでもいいようなことで

最後までクヨクヨ悩み続ける



生きる上での、自分の阿保さ加減、鈍さトロさ、

浅はかさを恥じるより

カテゴリーの中で特定の誰かや世の中を責めたいのだ



そしてテスト勉強のように覚えた規律を

多くの人が疑いもせず正しいのだと信じ込んでいる



身近なコミュニティーでは

余計なことを言わないことが最大の自己防御だと、

指摘する必要のあることまでスルーしてダンマリを決め

何も言わないことがいい人みたいな社会になる


”私も言わないから、あなたも言わないでね” って

障らないように傷を舐め合い


誰もが自己防衛ばかりで社会が委縮し

キャパが狭く練れていない者達の集まりとなる


その割には、少しでも癇に障れば途端に切れて

仲間を巻き込み自己中心の戯言を並べながら

陰で散々人の悪口を言い、

ネット上では匿名で特定の誰かを批判し、

どんどん陰湿になってゆく


やがて何かあれば、真顔で屁理屈を並べ

自己保身に明け暮れるいい年した大人達


そんなセコい大人達の中で育つ子供もまた

自ら体当たりする前に損得勘定をはじめ

やがて何かあればすぐ人のせいにする

屁理屈ばかりの小さな大人になる



人目ばかり気にする全然潔くない生き様と

やせ我慢のように表面だけ繕い余裕ぶったその姿に

リアリティーを感じないのは

そこには実像よりも大きな虚像をこしらえるための

無駄な力学が働いているからだろう




日本は世界有数の高度な秩序を携えた幸せな国だ

これは先人の苦労と努力の賜物


称賛すべきことだが、

それにタダ同然で乗っかっただけの我々と

それ以降の世代は何かがちぐはぐだ



豊かなようなこの国は、いつだってどこか空しい・・


きっと誰もが感じているのではないか?



ヴァインセオの上の生モヤシと同じ

土台と具がちぐはぐで味がつながらない感じだ



自分の存在を知らせるために、

”自分はここに居るのだ” と、もっと正々堂々

ガンガンクラクションを鳴らしまくればいい



なんのアピールする努力もしてないくせに

気づいてもらえない自分の寂しさを埋め合わせるため

屈折した自分本位の規律や秩序を連呼して、

意にそぐわない者を探しだしては、

自らの身を隠しながら匿名のままでまくし立てあざ笑う

そんな浅はかで根暗で薄気味悪い輩たち・・


人のことはコソコソと攻め立てるが

自分のことは断じて攻められたくない


貧しい魂である


癌細胞に侵されるように社会がどんどん萎縮してゆく



ヴェトナムのあの体当たりのガチャガチャのほうが

よほど健康的で人間味がある



当然ながらヴェトナムにもっと入り込めば

その国の闇も視えてくるだろうが、

ただ、生きることに対して

日本人と比べて圧倒的に正直で、真っ直ぐだった

最低限偽物の自分を見せつけるようなセコさは感じない



一様断っておくが日本人はそんな人ばかりじゃない

輝いている人はたくさんいる


ただこの国は残念ながら

圧倒的にそういう傾向に動きはじめているようだ



心の底にくすぶっていた

この国にずっと前から有る得体のしれない何かが

この旅ではっきりとした輪郭を帯び

視えてしまった気がした




そしてこの病巣はなかなか治りそうもない


なぜなら、

末期になるまで自覚症状があらわれないのだから・・


表面を取り繕っている自分と

本性の自分との差が大き過ぎる

それは何の為ですか?


重症患者になれば

表面を繕う嘘の自分を本当の自分だと信じ込んでいる


そして自分が重病人だなんて微塵も感じていないものだ


裸の自分で堂々と体当たりできない

損得勘定ばかりの、そのセコさと虚しさに、

個々が早期に気づいて改めるしかない


それが手遅れにならぬように・・



裏表の乖離が激しい人間ばかりだから嘘の世になる



この社会を横切るのはなかなか厄介だから

知らぬふりをして、目をつぶって歩こう



でもここは日本だから

皆、反射神経が悪すぎて事故っちゃう?



ってかなりの皮肉・・















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2018年01月04日

The Japanese


明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願い致します




新年早々は箱根駅伝を見ていた


個人が、チームが、一丸となって戦っていた


また青学の圧倒的勝利だ


強いもののドラマも痛快だが

繰り上げスタートに間に合わなかったチームを見て

少し悲しくなった


なんでもトップとの差が20分になっても

中継地点に辿り着けなければ

その選手を待たずに

繰り上げスタートするというルールらしい


力及ばず、力不足だ


厳しい現実である


その背景のいろいろなことを想像してしまった


ソウルが厚すぎなんじゃないか?

”陸王” 履けばいいのに・・ってドラマの観すぎか?




しかし約20Kmを1時間くらいで走ってしまう

どれだけ速いんだ?


今自分はダイエットのため3日に1回ジムで走っている

それも下が動くローラーの上でだ

1時間に10Kmのペースでいつも最後は死にそうになる


彼らは坂だの風だのを受けながら自力で走っている




最終10区、青山学院大学余裕の独走態勢!

残り5Km、2位との差は5分以上空いていた

ここで今、俺にタッチ交代したら

果たして2位に追いつかれるだろうか?

逃げ切れるだろうか?


追いつかれるな・・間違いなく

単純計算しても、自分は5Kmを30分かかる

ダメじゃん!


みんなゴールでイヤな顔するだろうなぁ

なんでお前が走ってんの・・?

さすがの原監督も吠えるよなぁ


なんかスイマセン・・


新年からアホなこと考えてた



しかしマラソンは

日本人に合っているスポーツなんだろうなぁ




日本人はチャレンジを嫌う

成功することより

失敗しないことで満たされる


それが脳科学的見地から見た

日本人の脳構造の見立てらしい


例えばサッカーで今一つ世界と渡り合えないのは

一瞬の判断のとき

失敗しない選択肢を考えてしまうかららしい

従ってゴール前でたくさんの選択肢があることを好む

そのために1テンポ2テンポ動作が遅れるのだそうだ

時間で言えば1秒2秒判断が遅いということだ

直感で動かず一々考えてしまう

だから野球のほうがその考える時間があるから強いのだ


なにか納得した


一般的日本人は

チャレンジしろ!と言われるのが何より嫌いらしい

それを好むのは全体の1%で世界で最も低い数値とのこと


ちなみに南米人は世界の中でチャレンジを好む率が高く

全体の40%を占め、チャレンジのない人生など

生きている意味を感じないらしい

失敗したくないのではない

成功したいのだ

最もアグレッシブな人種だということ



成功したいわけじゃなく

失敗したくない人種と

その差はかなり大きい



なるほどな〜



だからあり得ないような

アクロバティックなイメージまで試してしまうのか

しかしそれが決まればかなりカッコいい


サッカーが強いのと関係がありそうだ


従ってあらゆる場面で

大きく成功もするが大きく失敗もする


日本人は固い線を望む

高い貯蓄率もその表れだろう


欧米人は失敗をさほど気にしないが

日本人は一々クヨクヨしやすい


これらは脳構造の問題だから

努力するとか頑張るとかの次元じゃない

それだからいいとか悪いとかでもない


そういう風にできているというしかない

一つの目安だ


単なる学者の戯言で

そうでもない人だってたくさんいる、が

まんざら間違いでもないだろう


難しいことを言えば

ドーパミンとかセロトニンとかトリプトファンとか、

そういう脳内物質の分泌量が多いとか少ないとか・・

聞いていても眠くなるが、なんかそういう根拠らしい



日本人は世界一失敗したくない人種なんだなぁ

そこは大いに納得した



箱根駅伝で

繰り上げスタートに間に合わなかった選手が泣いてた

なにかその悔しさと悲しみが伝わってきた


あれは勝てなかったことへの悔しさか?

それとも襷を繋げずに途切れた

失敗の恥じらいや惨めさからくる悔しさか?


おそらく後者だろう


見ている側は誰もそれが惨めだなどとは思わない

むしろあらゆる場面で自分が負けた時の気持ちを重ね

共感の意識のほうが強いが、

走っている本人がそう思ってしまうのだろう


だからそんな感じなんだ

だからあんな感じなんだ


いろいろ思い当たる節がある


だから切り替えが遅い日本人

だから失敗を失敗と認めないように教育する日本人

だから肯定文ばかり、気休めばかりの日本人

だから話をすり替えたり言い訳ばかりの日本人



それが人により場面により

吉とでることもあれば、凶とでることもある



いいとか悪いとかの話でもない

そういう風な脳の傾向だということ・・らしいよ





最後に人種に関係なく・・人類とは、


想いや感情や精神論的な観点からではなく

脳科学的に言えば、

または素直に脳の指令に従えば、


生きているものが勝ち

生きてさえいれば良い


という結論らしい



それ以外の人間が圧倒的に時間を割いて

日々問題としている細かな戯事は

オマケのようなもの

楽しまなきゃ損です



ということでした



学者はデータベースで整理したがる



脳科学者の脳構造はAIと同じ

わざわざ人間の思考が逆輸入のごとくロボット化してゆく



そこに酔いしれる

知性の高揚・・一種の思い上がりだ



莫大なデータの中から最良の方法をいち早く探る

それがAIである



知能指数が上がれば上がるほど

そのデータばかりを信じやすく

人としてのアクロバティックなイメージが欠けてゆく

人としての面白さが欠けてゆく・・ニ律背反だ



今や科学に多大なる恩恵を賜り

この世界はずいぶん便利になった



ただその高い知能を持った人間自体は

実はずっとアナログのポンコツ野郎である



人は科学の進展と伴に自分までもが急に

頭脳的にスマートになれた気になりやすいが、

大きな勘違いだ



人はポンコツだからストレスをつくりだし

ポンコツだから味わいがあり面白いのだ



そしてその中でもかなり警戒心の強い

・・The Japanese!!



戌年には悪いが、やっぱり猫にしか見えない












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クリームを使わない卵黄だけのカルボナーラ























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2017年12月28日

2017 年の終わりに


今年も一年楽しみました

新年は2日から営業です



自分は今、猫派なんだけど

猫年ないし・・


もっとも黒猫限定だから

黒猫年っていうのつくってもらわないと、・・困る



来年は犬でしょ?

犬もまあまあいい



昔芝犬を飼っていた、

あとシェットランドシープドッグ

あとよくわからない雑種も



名前はぺスが3代続いて、

そのあとのシェットランドはラッキー

・・確かにラッキーという顔だった


全部外で飼う犬だが番犬というほど気が強くなく

誰にでも尻尾を振ってた


ちなみに今のうちの黒猫はクロエ


子供の頃のニワトリはピーちゃん

インコはピーコ

もっと子供の頃にいた初代黒猫はニャンコプー


今考えるとボキャブラリーなさすぎ

なんかほかになかったのか?




まだ幼い頃、

ヒヨコが気づいたらでっかくなっちゃった、

っていうエピソードがある


小学生の下校時に校門の前に

ヒヨコとか亀とか売りにくる業者がいて

それ見てどうしても欲しくなり

家まで片道30分の通学路を走って帰り

ばーちゃんになんとかその抑えきれない想いを説明して

400円もらったらまた門まで駆け戻り、、

2匹買った


確か小1くらいのとある夏の出来事・・


ソイツがニワトリになってげんなりしたのをよく覚えてる

小学低学年ですでにげんなりする感情を覚えた


それでも外に囲いを造り飼い続けた



知らなかった



ヒヨコがニワトリになるのも、

あの重々しいげんなりした気分も、

好き勝手走り回るニワトリを見て

そのあとどうすればいいのかも・・




ともかく犬も鶏もあるのに

猫年はない



鼠までいるくせに・・



誰? 干支決めたの



淋しいくせに、一人でいたい

静けさを求めるが、喧騒にホッとする


ずっとその心地いい距離を測ってる


猫も人も同じだ


ずっと尻尾振ってる犬みたに従順な人は少ない



だから猫が好き

だから人が好き



来年もいろいろあるんだろう


ああでもないこうでもない

好きだの嫌いだの

気に入ったの入らないのと露骨に言ってみたり

言葉に出さなくとも裏から根暗な攻め立て方をしてみたり

何を尤もらしい理由をこじつけたところで

世界のお偉いさんも、身近な誰かも

結局皆、そんなちっぽけな感情と損得勘定で動いてる


人間は後づけの屁理屈が多すぎるのだ

そしてどうしても自分をいい人に見せようとする


猫はそんなセコイ小細工はしない・・いや、できない

それが人と猫の違いだ


そういうメンドクサイ人間の心が

また来年も面白そう


真っ直ぐ目標へ夢へと向かっている者は

たとえ我がままでも、

そんなセコイ屁理屈を言わないものだ


そこに年齢など関係ない

せめてそちらサイドでいたいと想う



たった1%でいい

心の底から楽しいことがあれば

残りの99%は楽しみに変えられる



その1が無い者が、

まるで80%幸せのように必死に見せかけて

ずっと的外れの屁理屈を並べてゆく



1=100である

1の本物があることが、なにより意味深いのだ



それがすべてのはじまりとなる

そこからすべてをこじ開けられる



曇った80に酔いしれるより、

クオリティーの高い1に全体重を乗せることが重要である




皆さま今年も有難うございました

良いお年をお迎えください






agape chef manaka










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金太郎イワシのライムマリネ





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蝦夷鹿のロティー













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2017年11月26日

遥かなる光のものがたり


古代バビロニア人は

太陽が顔を出してから姿を現すまでの2分間を基本として

天空を太陽サイズで分割し

720個分で一昼夜が経過することから

一日ワンクールの時間を割り出した



トランプではカードの4つのスートは四季を表し

1年が52週あることからカードの数は52枚

そのすべての数を合計すると

52×7=364

1+2+3+4+5+6+・・・・・+13=91×4=364

これにJOKERを足して365

それでぴったり1年となる



12で1に戻る時間軸と

13で1に戻る時間軸



もっともトランプの側は

JOKERの1を足さなければ合わないけれど・・





宇宙の果ては広がり続けていると言うが

いったい誰が見たんだろう?




規定値まで行ったら1に戻るんじゃないのか?

それがずっとぐるぐる廻ってる


そんなこと想ってた・・




たとえばワープして宇宙の彼方へ走れたとして

どこかでブラックホールに吸い込まれ

いつの間にか元居た場所へ戻るのでは?



トランプみたいにさ・・



だって13まで行ったら1に戻らなきゃ

ロイヤルストレートフラッシュは完結しないじゃない・・?





むらさきの夜に街の明かりが灯る・・


その上には遥かなる一億光年の彼方から

時を超え、今やっとこの星へ届いた光


お疲れさんで!




細いグラスに注がれたテタンジェのシャープな泡越しに

LEDに照らされた街のイルミネーションと

遠い星の輝きが交差して煙り立つ




Merry X'mas!!




今日もこの街には当然のようにフェイクニュースが流れ

人々は ”真実のような嘘” に染まりながら



赤鼻のトナカイは橇を引きそんな街の上を通過して

サンタクロースは浮かれた人々にプレゼントを降らせる



教会には鐘の音が響きわたり

やがて降る粉雪の結晶はその姿をダイヤに変えながら・・




それをクスッと鼻で笑うようなキザな人にはなりたくない

あえてそう想っていた



どちらがキザだって?

だからそれは鼻で笑うほうさ・・



なぜならその物語はまんざらフェイクでもないのだから




それが ”嘘のような真実”




"真実のような嘘" と "嘘のような真実"




人は真実のような嘘にばかり目を向けてしまうものだ




それは逆立ちして頭をあべこべにしなければ

見抜けやしないのさ




たった92種類の元素の組み合わせからなる

この宇宙のすべてのもの・・




アインシュタインが一般相対性理論で

重力場からなる宇宙の時空連続体を紐解き

この銀河系のなかで最も太陽に近い

水星の歪んだ不連続軌道を証明した、その昔


街灯りはまだ薄暗く

星はさらに強く輝き・・


サンタクロースはより多くのものを人々に届け

やがてこの文明は大きな発展を遂げることになる




その発展を、

すべて自分で編み出したと想うのが人間である


真実のような嘘はここあそこに視える







今、この重力場の月灯りに浮かぶ斜めのビルは

ただの黒い影だと気がついて

LEDに揺れる街灯りの屈折した光と影を読み解くのは

もうとっくに慣れてしまっているけれど


相変わらずサンタは

せっせせっせと人々にプレゼントを運び

文明はさらに進化してゆく




それが現在のこの星の出来事・・




”たいして興味もない話をしたときに

はじめて自分は何に一番興味があるのかがわかる”

J.Dサリンジャー




興味もない話を真顔でずっと話し続ける切ない大人たち

優しさか保身かは定かでないが

気を散らし、傷つけ合わずにただ過ごすだけの日々




ならば子供のように傷つけあって

楽しいことだけを探し当てる貪欲な目を持てたほうが

真実へとたどり着くのさ




この街のそのイビツな軌道まで

アインシュタインは証明できただろうか?




星も人もやがては生命に終わりを告げる時がくる




生きた証であるその発光体は

相対的な重力場の作用反作用により揺れ続け

想定不能な一生の夢物語をずっと綴ってゆく



やがて幕を閉じるとき

その微かな光は

遥かなる何億光年もの遠い宇宙へと放たれ永遠の旅にでる



その旅がもう戻れない宇宙の果てに行くのか、


もしくは、

どこかの規定値でもう一度やり直しの元の場所に戻り

13から1に繋ぐ時空を超えた離れワザの

ロイヤルストレートフラッシュを決められるのかは

誰にも解らないけれど、



ともかく最期の瞬間がくるまではこの星にいて

ああでもないこうでもないと生きてゆく



そこには

天使のような天使がいて

天使のような悪魔がいる


悪魔のような悪魔がいて

悪魔のような天使がいる



人々はそのいずれかに作用されながら

同じ場所にあべこべの者がごちゃ混ぜに生活しているから

この星の上では不連続軌道がはじまるのだ



そうやって同じ場所に居ながら

人により完全に異なるパラドックスを生きてゆく



数学の図形では、形も大きさも同じ事を合同と言うが

同じものが人により同じに見えないことが

違う世界を生きている証である




逆立ちしなければ視えやしない




真実だと信じている現実こそが嘘であることを

嘘のような物語のなかに真実があることを・・




この世の時間軸は12で整合し、

この世の現象は13で流れている



時間軸は12

現象は13+JOKER



その誤差が歪となりやがて想定不能となる



13の4シーズンにJOKERが加わり

それがまさに人生劇場を形成する



JOKERは不可欠、無いわけにはいかない



そのJOKERは

悪魔かも知れないし・・天使かも知れない



いずれにせよ、この世の者ではないものが

365のうちの1を担っている



トランプのババ抜きではJOKERは悪魔的な嫌われ者だが

大貧民では天使的な最強のカード



そのJOKERが良くも悪くも

個々の人生に振動を与え圧倒的なキーマンとなる



だから12で綺麗にものごとの現象を割ろうとしても

割り切れるはずもない



そんなはずないって、

我武者羅に12進法60進法のなかを走ったって

合わないものは合わないんだ



13の4シーズン

その繰り返しにJOKERを加え紐解いてみれば

この世の真実が視える



普通のことを普通に考えてもズレてしまう場所にいる

その場所で私たちは冒険してるってことさ



この世は嘘が真実としてまかり通る場所

本当のことは

12に+1+JOKER分だけズレた座標の上








シンデレラは12時が近づいて

辛い現実のなかに一生懸命駆け戻り

途中でガラスの靴を落としたけれど、



そのガラスの靴こそが、

未来へと繋がる”真実の靴”に入れ変わる

13の国からやってきたJOKER



整合した12の国から見れば

とても不連続に見える歪んだ軌道を持つ13の国



さぁ果たして、

目に見えるものだけを見ている者と

目に見えないものも同等に見ている者



本当はどちらが歪んでいるでしょうか?

キザなのはどっち?

あなたが想う正義と悪は、本当に正義と悪ですか?

本当はどちらが人間にとって都合よくこしらえていて

どちらが星と繋がっていますか?


同じ場所に重なって存在する2つのパラドックス


真実はどちらに有るのでしょうね




もしもシンデレラが真実を求めなかったとしたら

未来を手にするチャンスは生まれなかった




心が真っ直ぐな者が求めたとき

そのJOKERは天使となって現れる



心が屈折した者が求めたとき

そのJOKERは悪魔となって現れる




それがこの魔法の世界の 嘘のような真実




無が有に変わる瞬間

一体なにがどう作用するのでしょうね



それは本当に自分の力だけですか?

それとも、見えない何かが後押ししたのでしょうか?





遥か彼方の光の繋がりを信じ

+1+JOKERの歪の中で

モーションを起こしチャレンジしたとき

ずっと赤鼻のトナカイは橇を引き

サンタクロースは夢を降らせ続けてくれる




あなたはまだ

サンタクロースを信じていますか?




信じられたなら

サンタクロースはあなたの前に再び必ず現れる




それは人かも知れないし、星かも知れない





それが、遥かなる光のものがたり・・






END






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






さて、・・このものがたり



嘘か真かは読む人により変わる魔法のはなし



どのみち、ただの作り話です



嘘の世界には嘘ばなし・・



しょせん嘘を真顔で語る世界だから、

今のところ悪魔の勝ち越し



では、嘘のなかの嘘のなかの嘘は? 

この賭場で、JOKERはどちらに転びますか?



裏の裏の裏は、裏とは限らない



天使と悪魔は人の想いの周波数に集まる



カードをテーブルに投げ出し諦める人

真実の天使を引き当てるまで諦めない人

ずっと嘘の中でポーカーフェイスを使う人



同じものを見ていても

同じ世界を見ていても、全然景色が違う

人生は嘘と真実が視る人により変わるポーカーゲーム



ぼろ負けもある・・一発逆転もある



そこにJOKERのないゲームなんて

面白くもなんともないのさ



人の世の意図的な駆け引きなど

何時だって空しくなるけれど、

想定不能な星が相手なら

そのゲームは断然面白くなるってものだ



何度目の勝負かは知らないが

さぁ次は、また、あなたの番

シャッフルしてカードを一枚どうぞ・・







フルートのなか、クリスタルに輝くシャンパーニュと

LEDのホワイトゴールドが絡み合いキラキラしている



薄化粧して着飾ったこの美しい街に、・・乾杯!



やがて命が燃え尽きて

遠い宇宙の彼方へその光が放たれるまで



美しくもイビツなこの星に、永遠の愛をこめて




あなたに天使が舞い降りますように・・




13の国のagapeから

時のずれた、一足はやい




Merry X'mas!!










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X'mas present from agape

ヴァレンティーナ リシッツァ演奏

ラ・カンパネラ (イタリア語で鐘)







 








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2017年11月11日

夢の星


テレビ画面のなか

モーゼが神から十戒を授かったといわれる

シナイ山の映像が流れた



見渡す限り木一本生えていない殺風景な花崗岩の山である



かつてモーゼは、

エジプトに捕らわれていたイスラエルの民を率いて脱出し

長い流浪の末に彼らを”約束の地”へと導く


現在ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての

聖地となり巡礼者が多く訪れるシナイ山




遠い記憶が蘇る・・




目の前の現実ばかり見てしまう癖がある

それをずっと目を凝らし直視してしまう癖がある


目を逸らせばいいのに・・


そのずっと奥まで透視してしまうことがある


それで勝手に心が疲れてる

阿保か




夢を見ていたい

それも飛びきりのいい夢だ




人は夢と現実を行き来する




この世は決して綺麗じゃない

その負を誘発するものはすべて人の心からくる



もしも人間がいなければ

おそらくここはただただ美しい星なのだろう



だからなおさら人はその美に及ばない自らを省みて

綺麗なものを求めるのかもしれない



汚いことを知りつつ求めるのと

最初から綺麗だと信じているのでは意味合いが違う



子供達は皆信じている



いつからだろう?

そこに浸っていられなくなったのは・・



大人になってもまだ信じてる者もいる

時々そういう人を見かける



それは

相変わらずサンタクロースを信じているようなはなし



良く言えばピュアだが、お馬鹿とも言える



よほど守られた環境で生きてきたのだろう

または、よほど鈍感なのだろう




ただ、人間は現実を直視するだけでいいか?

それが幸せへと繋がるのか?

現実を理解し

一つ一つきっちりと対処できれば人は満たされるだろうか?


それはそれで、諦めと歪みを調整する作業を

ずっと繰り返し強いられるようになるんじゃないのか?

やがてそれに慣れてしまうのではないか?


そして”人生とはそんなものよ!!” なんて

酒を呑みながら判ったようなことを語りはじめ

だらしないドヤ顔をするのが落ちじゃないのか?


その姿こそ、一見利口そうなお馬鹿では?



現実を、いくら頭の固い学者や有識者らしき者が解析し

紐解いてみても

何の意味も持たないことをやがて知ることになる




ずっと夢を見ていたい




モーゼは夢を見ただろうか?

それとも現実を見ていたのか?

夢の導くままに難民を率いたのだろうか?

それとも現実の中の切実な対処として彼らを率いたのか?


ロマンティストかリアリストか・・


限りなくロマンティスト寄りのリアリストも兼ねた

中庸だったのかもしれない




テレビのなかの枯れ果てた大地を見て想い馳せていた




散々この小汚い現実を見尽くしたあと

それでも大いなる夢に浸りたいものだ


お前は馬鹿だと言われても

あえてその俗にいうお馬鹿に浸っていたいものだ




夢に浸ればいつしか

部分的に拒絶したくなるようなこの現実が

実は必要なアイテムに見えてくる



癌細胞も、テロリストも、自我も、強欲も

嫉妬も怒りも、驕りや優越感や、憤りや落胆も、

そんなものなにもない小綺麗な世界を一度は望んでみたが

もしもそれらが無くなれば

人は生きていられないことを感覚的に感じとれる



人は自分にとって嫌なものを排除したくなるものだ

その作業を世界のあちこちで誰もがやっている



しかしそもそも人間はどこかにずっと害敵が必要なのだ


例えば身の回りに嫌なものが一切なくなり

好きなものと無害のものと肯定派ばかりが周りを囲めば

また必ずどこかに敵を無理にでもこしらえるのが

人間の本性である


プラスマイナス、相反する者は永遠にそばにある

その原理の中に生きているのなら

その敵は嫌でも排除するべき対象じゃない

排除しても排除してもまた別物が湧いてくるのだから


それでも人は拒絶し排除する

誰だって大なり小なり大抵はそんなものだ




その元々有るものを”拒絶”し”排除”することこそが

おそらくこの星では最もNGなのだろう




生き物でも物質でも、菌でも病気でも、または感情であれ

あらゆるものがその存在には理由がある


それを根本的に存在否定をして

削除してしまうのが人間である


モーゼに言わせればおそらく

人間は創造主である神に盾突いていることになる


この世をエンドレスで地獄へと導く鍵は

そこにあるのだろう




”排除” ではなく ”変化” が吉


その変化は相手が変わるか自分が変わるか

どちらでもよいが、

最終的にどちらも変化すればそれが進化となる





かつてラクダに股がり

乾燥しすぎた透明な宵闇の彼方に光り輝く

満天の星に酔いしれながらシナイ山に登ったことがある


あのアラビアンナイトはまさに夢の夜であった


今やそのシナイ山もISの拠点である





夢と現実は同居する

同じ場所にそれらはある

同じ場所に天国も地獄もあるということになる


どこかに行けば

嫌なものがなにもない夢の世界があるわけじゃない


たとえば戦場でも美しい夢は見られる

または恵まれた楽園に居ても地獄にもなりうるのが

この星の正体である




目の前の現実ばかり見てしまう癖がある

その現実を直視してしまう癖がある・・



そこにストレスを持ち拒絶感を抱いたとき

それは地獄にずっと浸っているのと同じことになる


ならば鈍感でお馬鹿なほうがよほど幸せなのだ



天国も地獄も自らが創りだす



自らの想念がどちらにウエイトを置くかである

ロマンかリアルか・・だ

 

人が集まり大衆になって

その大衆の想念がロマンティックに寄れば

必然的にこの世界は希望に満ち天国へと向かいはじめる


リアリストが多数を占めれば

皆がそれそれに違う自分基準の合理性を我先に主張し

譲らず、思い込み、信じ込み

どこからともなく抜け出せない排除の論理がはじまり

エンドレスの地獄へと向かうことになる




どす黒い現実に押し込まれ圧倒されて

その中に浸りながらいくら事実を分析し

さらに何度も精査して自ら信じる正当性を主張し

嫌なもを排除しても排除してもそこからは抜けられない


それを世界中あちこちでドンパチやっているのだから

これが永遠の地獄となる


そこから脱出したければしたいほど

絶対に抜けられなくなるカラクリの中にいる


リアルを見れば見るほど

絶対に外せない知恵の輪がさらに複雑に絡んでゆく


やがて人間同士の身勝手さが交差するこの世界に憤り、

疲れ果て、自分自身の存在を

自ら排除してしまう人だってたくさんいる





”すでに存在するものを排除してはいけない”

その視えない指令がどうやらここにはあるようだ





日々のしがらみの中

人間はなかなかそれができないでいる




なんの根拠もなく、誰かに言われたわけでもないが

この空気の中に

ただ何となく勝手にそう感じるだけだ・・





事実を変える扉は

現実の外から持ってきた鍵でなければ

開かないのかもしれない





もしも夢のほうに少しだけ多く重心を置いたとき

そのロマンはこの世から脱出させる可能性がある


実際に脱出するのではない

自分を取り巻く周りが変化するスイッチを押すのだろう


自分が何処かに移動したわけじゃない




やがて現実になり替わる鍵は

そのロマンの中にだけ存在するのかもしれない




夢のなかを冒険していたい

ただその夢は

少しずつ現実とリンクさせなければ意味がない




そうじゃなきゃ

ここは生きるに値しない空しいだけの不毛の星である




モーゼは遥か昔に

この不毛の大地でなにを見つけたのか?




まず先に夢を見て、

そして現実を見て、

その様をできる限り拒絶せず、排除せず

あえて肯定し寛容し

変化させるための冒険を愉しんでみれば

やがてその夢は現実に差し替わる


・・かもしれない




時に無意識のなかで

この世界の現実にばかり浸ってしまうことがある


足し算、引き算をして

さらに掛け算、割り算をしても

結局割り切れずモヤモヤして

それでとっても疲れてしまうことがある


途方に暮れて立ち尽くし、

ただただ傍観してしまうことがある




それは自らの勝手な合理性に無理やり事実を落とし込み

単なる小さなパラドックスに浸っているからかもしれない


現実の中でいくら綿密に試行錯誤しても

人間同士の身勝手さなど割り切れるはずもなく

負の連鎖をぐるぐる回るだけで絶対に埒が明かない


その先は諦めながら目先のものを無機質に対処し

週末になったらやっとこさ気を紛らするしかなくなるのだ


やがてストレスが溜まり、

ちっぽけなプライドらしきもので痩せ我慢して

自尊心のなかのくだらない優位性を競い

金属のメタルを掻き鳴らしライブ感に染まっている自分を

この社会の犠牲者だとかカッコつけて酔いしれながら

それが社会だ、大人だ、人生だと思い込んでいる

本物の馬鹿になる


アブナイ、アブナイ!




そんな時は意識して懐を広げ

大らかなロマンを取り戻したいものだ




変化させ進化させるのはいつだって

突拍子もない角度からものを発想するロマンティストだ






たまたまシナイ山の映像を見て、

遥か昔のモーゼに想い馳せ、

実話か作り話かわからないような伝説の神話を鑑み

現代に生き染まる自らを省みている




絶対的不可逆性の時間軸のなか

時を超えたモーゼからの指令か? 



な〜んてな!



これがロマンだ





ここは、


夢と現実のシーソーゲームで未来が決定される、想念の星


いい夢を見るための星


夢が現実に替わる星


その鍵を探す冒険の星











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2017年10月24日

蜘蛛の糸


台風も過ぎ、久しぶりの秋晴れに

東京タワーもいつになくくっきりと浮かび上がっている


太陽光と澄んだ空気はやはり気持ちのいいもので

長雨で閉鎖的になった心を自然に解放させてゆく


もらい物のサルデニア島の焼き菓子をかじり

よく言えば素朴だが、やはりちょっと野暮ったいな

なんて勝手なことを思ってた




一匹の蜘蛛が白い壁を這い

それをずっと目で追っている




立ち止まってからの時間が長すぎて

とうとう見飽きてしまえば

今度は小さな窓から見える

広くい空を眺めながら舌なめずりする黒猫に目を移す



蜘蛛と黒猫と、そして私がいる



この三角形の真ん中にサルデニアの菓子

それらを遥か上から眺める秋の空で

やけに底面が狭く、背のい

三角錐のピラミット空間が形成される



狭いものと広いもの

小さいものと大きいもの

いものと低いもの



異質の物体が混在し

それらを線でつなぎ、立体空間となって

人はその中でなにかを想い・・


おそらく猫も蜘蛛も、またはあのい空も

微かな電気信号らしきもので何かを察し交信している



その裏を緩やかに控えめに

時だけがずっと等間隔で流れてゆく




”この中で人がいちばん愚かである・・”


そうあらためて感じていた朝




我が愚かさを一度は恥じてみるのだが

カンダタのごとく自らの罪を忘れ

やはり自分だけが救われたいのなら

細く弱い蜘蛛の糸を伝ってあのい空へは登ってゆけない



風が吹いて振り落とされ

終いには皆で一斉にしがみつき

案の定その重みで細い糸が切れてしまえば

また罵り合う



誰もがずっと足を引っ張りあうこの地獄の住人



偉そうなことをいくら語ろうが

人はやはりどこまでも愚かである



ここはそれを認識するための場合かもしれない

勘違いしていい気になるものだが

人はまず自らの愚かさを認めなければ次に進めない


馬鹿馬鹿しいと、無視して進んでみれば

やはりいつでも糸は切れてしまう


ただ切れるタイミングが、今すぐ切れるのか

かなり年月が経過した後に切れるかの違いだけである


どの路切れるものは切れる

残念ながらそうなっている


そして切れないものはどんなに危うくとも切れないものだ


他を助けることだけが

結果的に自らを救う唯一の道・・か


それは自の損得勘定が先に立てばもはや本質を外している

その紙一重の違いは天地ほどの差がある


そして判った気になりながらその綺麗ごとを語り明かし

酔いしれる偽善者も沢山いる


たいがいは欺瞞であり

結局のところ我が身だけが可愛いい眉唾ものであるが

テスト用に暗記したワードを唱えるように

誰もが決まって”人様のために” を鼻につくほど強調する


文法だけを先に無理やり覚えさせられた

中学校の英語教育みたいに機能しない型だけインプットし

実戦で機能する肝心の真心が

取ってつけたようなガラスの飾り物に入れ替わる


そういう風に後づけで

無理やり自己暗示にかけているものは偽物である


ずっと誰かを裏で批判しながら理路整然と自らを正当化し

全エネルギーをそれに費やすことに終始するが

表向きは完璧に着飾りどこまでも世のため人のためを装う


やがて自分で自分を欺く

自己欺瞞同士が連鎖し共鳴すれば

暖かいように錯覚する冷たい風の渦をつくりだす


その様は確かに滑稽である





季節外れのこの台風は

瞬時にあらゆる方向へ風向きを変え

一体なにを連れてきて、なにを持ち去ったのか?





この連鎖こそがこの世を貧しくする正体であるが

だからとて、人間の置かれた境遇を鑑みてみれば

なにが正しいか間違えだか解らぬ場所で

そこには個々の必死な想いがあり

歯車のなかで抜けられない苦しみがあり

頑張っていても空回りする切実な悲しみがある

その中に意地らしさも味わいも生まれるが

そんな感傷に浸っていられる余裕もないのが人間だ

内面はチグハグでガチャガチャなのに

安定的な表層を繕うことを優先する

それを一々細々と責められるものじゃない


多くの人は、他人を責める場面もあるが

自分のことも責め、もがいているものだ


同じ一人間が、お釈迦様にでもなった気分で

その様をみから覗き込み拒絶してはいけない


地底に足をつけて

見渡す景色をゴックリと呑みこみその苦汁を舐め

どうにかして苦味を旨味に変えながら

誰もが立っている最低面を上げてゆく必要がある



他人も愚かだが、自分もあきれるほど愚かである

その両方を呑み込むことを初期設定にしなければ

空回りする



なんとか自分で自分の愚かさを許し

同じように他人も許してあげなければ

すべてが同じ場所で空回りする嵐に廻され

道を見失い前へ進めなくなってしまうものだ



自分は愚かではないが、他人は愚かである

その構図を意図的にこしらえたとき

人は間違いを起こすのだろう



自らの野望を、まるで他人様の希望としてすり替え

元々存在する苦汁を ”排除” すれば

それもまた本質を外し綺麗ごとを見せかけただけの

浅はかな偽善者の証



蜘蛛の糸は

人が人に対して上から垂らしてあげるものではない



救世主は空からは降りてこない

地底から這い上がってゆくもの



それは一個人の

スーパーマン気取りにより成されるわけじゃない



同時多発的不特定多数のごく普通の人々によらなければ

この世の底は上がらない









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政界に吹く風は元々政治家が作るものだが

真横で大きなウチワを煽っているメディアがいる

火のないところに煙は立たないが

一度立った煙はその扇ぎ加減一つで

小さな火が大きくなり、大きな火が小さくもなり

風は意図的に誘導され次々向きを変えはじめる


すべてを同じ力で報じるならまだしも

その力加減はメディアの意のままである


あらゆるアラを探し追求するメディアこそ偏見にまみれ

意図的に印象操作をしているようだ


それは視聴者(国民)を洗脳していることになる

正に正義の味方気取りの欺瞞であり偽善の姿がそこにある


マスメディアのレベルが低ければ

この国は大きな損をする





















posted by 真中 at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年09月28日

ババぬきと、どこかの国のパラノイア


すっかり空もくなり

透けるように浮かぶ薄い薄いイワシ雲が赤く染まっていた


遠くのクラクションがビルに反射して響いた


警戒しながら塀を伝う差し足の黒猫


ブルーグレーにけむる街に

信号のグリーンだけがやけに際立って浮かび上がる


夕闇迫るころ

都会の殺到のなか一筋の冷たい風が頬を滑れば

微かに

やがて来る冬の匂いがした




家路へ急ぐ背中と、街へと繰り出す背中

いつものありふれた夜がやってくる




そこにはそれぞれの細かな事情がうごめき

みんな重たい荷物を抱えながら

なぜだか明るい顔して通りすぎてゆく




ささやかで、強くて、弱くて、

哀しくも切ない、

愛おしい人たち・・





極悪人か、悪魔か、

それとも英雄?、いや神か?



それ誰が決めるの?



どの岸から見た、正義と悪ですか?

こっちの岸? それとも対岸でしょうか?



立つ岸により、正義と悪は逆転する


でもそんなことはもうどちらでもよい





警戒して塀を伝う忍び足の黒猫


赤い空


ブルーグレーにけむる街に

信号のレッドだけがやけに際立ち浮かび上がる


夕闇せまるころ


遠くの爆弾がビルに反響して響いた


一瞬の閃光・・一筋の強烈な熱線が頬を滑る


・・闇・・





彼は核のボタンを押したらしい

どこかの国のパラノイア





ささやかな名も知れぬ暮らしが、一瞬で消えた

正義という名のもとに・・



ささやかな暮らしが、愛おしく素敵な人たちが

私と、私の大切な者たちが

すべて消えて無くなった



先に仕掛けたのは誰?

その正義は誰のものだったの?



今さら想い直したところでもうなにもない



そう、あの時だって同じ・・



このババぬきはこの先もまだまだずっとやるのですか?



いつの世にも出没する

どこかの国のパラノイア



被害妄想、民族浄化、差別、排除、利権、征服欲、

高慢エンペラー、サタニズム、大量殺戮、サイコ、

硬い硬い偏狭思考



俺様は、すべて正しいのである



その思考回路は

どんなにパラグラムを駆使しても、もうわからない



誰にももうなにもできない



この美しい地球を破壊するパラノイアは

いつだって、どこにだっているのだ

大きい世界にも、小さな世界にも

そう、目の前にだって・・



こっちの岸でそのカードを引いたのなら

そのババはもう一度引かせて元にもどすか、

カードの散乱したテーブルをひっくり返し

火を放ち消し去るかしかないね



意見の違うものとなら喜んで話し合う

ただ頭のおかしいものとは交渉しない



対話して考えを変えさせようなんて

本気で思うのなら・・可笑しい



ババはずっとババ・・

ババでなくなることはないからババなのだ



たった一人のパラノイアで

いつの世も

人々はそのババぬきからずっと抜けられない



そんなつまらないゲーム

最初から誰もやりたくなかった・・



怖くて寒くて眠れない夜に

あの空へ君をもう一度連れて行きたかった・・



遠い大国の兵隊は

相変わらず我こそが正義であると信じ込み


”私たちはずっとあなたと共にいる”

”この恨みはきっと晴らしてあげる”


・・だって

・・ずっと言ってろ





でももう

みんないないよ





次があるなら

今度は違う次元の世界にゆきたいね











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この国は今何をすればよいのでしょうね?


この状況においてもまだ

保身に明け暮れ、すぐに話をすり替える帝王が


この国、守れますか?


政治ショーもいいけれど

核が一つ落ちればすべて終わりです


喜ぶのはロシアと中国と

そして、実はアメリカにも少なからず利がある


もしも戦いを回避し対話したところで

もはや相手は強力な負の力を既に保持してしまった


交渉カードとして

そのババがどうしても欲しかったのですからね


お人好しでいい人ばかりのこの国は

さらにドMになってこの先ずっと

好きなことを言われ、やられっぱなしになっても

その不条理に耐えてゆけるのでしょうか?


もしくはこの下等な世の中では

”希望、希望” と聞こえのいいワードを並べながら

骨格のない夢に浸るまえに

やはり誰も歯向かえないくらい

強くなければならないのでしょうか?


どちらに行くも修羅場です


すぐ隣にパラノイアがいる限り

とうとう本当に国防を考える時がきてしまいました

幸運にもこの国は

たまたま差し迫った危機に晒されてこなかった


今後相変わらず夢のような綺麗ごとを並べたて

駄々っ子のように空っぽの平和を唱え

何にでも反対してゆけるでしょうか?


特定機密保護法案、共謀罪法案、

自衛隊法改正、集団的自衛権、憲法改正、安保法制

すべて個々にリスクを伴うが

国家を守ろうとするとき、これらをどう考えますか?

もしくはこの程度の法改定で足りるのでしょうか?


今のままがいいから

やはり波風を立ててほしくないですか?


何も変えないでほしいのなら

例えばテロ攻撃で身近な誰かになにかあったとき

”遺憾に思う、強く抗議する” しか言えず

どこまでも事後的な手当てしかできない国家に対して

誰も責められないでしょうね


安倍政権を基本的に支持しませんが

方法論は無謀だが

やろうとしていることは理解できるところもある

情勢変化に間に合わないから急ぐのでしょうね

強行裁決だろうが決断して進めなければならない事がある

国民の命を守るために


実際の脅威に直面したときは

こんなものではまだまだ足らないでしょうね


大国についてゆけば身を守れるという神話は

もはやパラノイアには通用しない


情勢変化に応じて大国の目を気にせず

この国独自のフリーハンドの指針を持たなければ

事実上対応できないでしょう


上辺だけかじりゆらゆらと風に揺れる

報道番組やワイドショーも

政権よりから売国まで、偏見に満ちた新聞社も

日本のマスコミは一体なにを正義としているのでしょうか?

数字取りのクラゲばかりです


日本を取り巻く危険な情勢は急速に変化するけれど

日本人の心だけがずっと自らの平和に溺れたまま

自らの権利に溺れたまま・・


自分はリスクを負いたくないが、守ってほしい

リスクを背負うのは反対・・守られるのは賛成

この矛盾がすなわち平和ボケと言うのでは・・


誰もが気付いているけれど

見ぬふりをしていることがある


なにかズルくないですかね


アメリカと同盟関係を維持することは当然必要だが

アメリカに近づき過ぎればまた負の連鎖に巻き込まれる

いつまでも金魚の糞みたいに

明確な自の意志を持つ国家として独立できないまま

ずっと追随してゆくしかできないのでしょうか?

この先100年200年、さらに先の何世代にも渡り

この国の安全を保障するには

抑止としても強力な軍隊と、そして核を

もはや自ら持つべきなのではないでしょうか?

国際社会は懸念するでしょうけれどね


これは個人的一意見です


今後もずっと愛と平和を訴え続ける必要はある

ただ、それだけで

夢の國へゆけるような世界情勢でしょうか?

核廃絶、戦争のない世界を、テロのない世界を・・

理想に浸っていられるならずっと浸っていたいが

現実はどうでしょうね


人間という生きものの本質からして

無防備のままで本当にそこへたどり着けるでしょうか


戦わないためにもそのオプションを持つ

世界共通認識の一見矛盾したような抑止力観念ですが

それは案外、

人間の本質をついているのではないかと想います

すなわち俗に言う恐怖の均衡です

そのきわどいギリギリの分水嶺に立つことでしか

人間という生きものはバランスを取れないのでは?


残念で最悪な方程式ではあるが

法も秩序も関係なくある程度権力を持ったパラノイアは

ロシアにも中国にもアメリカにも中東にもアフリカにも

そして国家を背負わないテロリストにも

その危険分子は世界中にたくさんいる


皮肉なことに向こう岸の北もこの世界情勢を鑑みて

自らが核を持たなければ国家が滅ぼされるという

強烈な被害妄想を抱いた結果なのでしょう


現にその抑止力が効いて

大国も容易に手を出せないのも事実です


この先もずっとパラノイアが意図的に世界を混乱に陥れ

この先もずっと彼らが

傲慢極まりない理屈をこじつけながら世界を破壊します


大多数の優しき人々は直接的に、間接的に

ずっとその犠牲になります


なんの罪もない人たちが、反撃の手段を持たない者たちが

彼らの正義の下、殺されるのです


ババはババ、改心しません

ババはババでなくなることはないからババ


パラノイアは一種の病人です


後付けの理屈や妄想を吹聴しながら自らを盛り立て

それを正義として、または神として、

話をすり替え、聖戦とします


危険な病人が最強の武器を持ちました


中国もある、ロシアもある

テロリストもウヨウヨいる

こちらにとってのババはずっとなくなりません

この先もずっと未曾有の脅威に晒されるのでしょう


この世はそんなに崇高な場所じゃない


理解の枠を超える者がたくさんいる

残念な次元の残念な世の中です


ただそこにはどこまでも刷り合うことのない

それぞれの正義がある


その正義には理解可能なものから病的なものまでいろいろ

すなわち片岸に立った正義とは

単なる個々の自己満足にすぎない


今まではたまたま出会わなかったが

今後その異様な思い込みに直面したとき

やはりいい人のまま泣き寝入りしますか?


それもまた一つの道ですね

その方が人として崇高で気高いのかも知れない


ならばなにも先手を打たず

相変わらず性善説のなかで人を信じ

突然根拠もなく殺されてもみんなで我慢しましょう



この国は今、平和です

ただこれは借り物の平和です



借り物に全体重を乗せることは不可能だし

借り物は必ず返すときがくるでしょうね



人間最後は動物的本性が見え隠れする



喧嘩が弱くて優しいより

強くて優しいほうが最後に実がある



これが高度な文明を創りあげた人間という生きものの

いまいち崇高になりきれない性なのでしょう



草食動物より肉食動物のほうが

最後の最後のところは力ずくで支配してしまう

そういう単純な食物連鎖の本能が永遠にある



その抜けられない動物ワールドの中で

更にずっと小山の大将同士のババ抜きからも抜けられない

そういう運命的な構図がある





例えば、喧嘩が超弱いけど超頭のいい

どっかの偏狭思考のベジタリアンが

ミサイルとか核とか銃とか打たれても通用しない

瞬時に開く透明な電解磁気バリヤとかを開発してしまって

一瞬で日本列島全部を包んだり、一個人を包み

それをすべての国や人間に常備させ

いくら最新の兵器や銃やらナイフで攻撃しようが

なんの意味もないような世界を創りあげる

もはや武器は散々悲劇を生んだだけの

化石化した過去の産物となり

攻撃するという概念自体が無意味となり

人間の感性から退化してなくなる



その時はじめて野生動物と人間は

同じ動物でありながら明らかに別次元となる



そういうSF映画みたいなドラえもんみたいな痛快な

根本的大転換でも起こらない限り



結局は目には目を、牙には牙を、弱肉強食

という動物園のなかの話を永遠に繰り返すことになる



そのすべての構造を鑑みたうえで

重要な局面を迎えたこの国の行く末を

今、考えるときなんでしょうね



自分たちのためというより

これからを担う大切なこの国の子供たちのために・・














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posted by 真中 at 19:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年09月16日

逃げるは恥だが役に立つ


秋の虫もそろそろ鳴きはじめ、ずいぶん涼しくなった

虫たちはそれぞれが勝手に自らを主張しているようで

その不協和音は唯一無二の美しい音階を奏でる


今年は秋が長いのか?

そもそも夏が夏を出し切れていない夏であった

働いている時の夏が涼しいのは自分としてはありがたいが

遊んでいる旅行中までずっと雨で

避暑地は涼しいを通り越して寒いのだから

なんとも皮肉だ


”遊んでいる夏だけは暑くていいんだよ”

って天に向かって叫んだところで・・

なかなか思い通りにはゆかない



そう、

いつだって思い通りにはゆかないものだ



これはお天道様の動向だけではない

思惑の中の細かな謀もである



今まで生きてきて

思い通りにいったことが果たしてどれくらいあるのだろう?


そりゃあ、あらゆる場面を想像すれば

うまくいったことだってたくさんある

ただ比率としては圧倒的に思い通りにゆかなかった

これは自分だけなのか

他の人もそうなのかは計り知れないが・・


例えばそれをギャンブルに置き換えて

思い通りにいけば勝ち、いかなければ負けだとしたら

勝率は圧倒的に低い

おそらく惨敗の負け越しだ


最近ではそもそもいちいち思惑を持たなければいいのだ

なんて卑怯な抜け道まで発見してしまった


はじめからこうなって欲しい!

なんて求めてません、って・・


いや、少しニュアンスが違うな

求めているのだけれど、手配を尽くして

それでもならないのならそれはそれでいい

・・という雰囲気か?



要はどうでもいいのだ



しかし決して投げやりというわけではない

が、結局最後はどちらでもいい、という心境になる



しかしこれは単なる言い訳の逃げとも言える

かなり微妙だ



そう言えば自分の座右の銘は

”鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス”


信長でも秀吉でも家康でもない

by 松下幸之助である



ずいぶん前に

そうまだ若かりし日の自分の心に響いて

ずっと胸のどこかに仕舞って置いた言葉


事あるごとにその言葉を思い返し、その都度力みが抜けた



改めて考えてみればこれは逃げだろうか?



ある意味明確な逃げだろう

もう鳴かす努力もしなければ待ちも殺しもしないのだから


それは究極のガズ抜きであり、大いなる逃げである


ただ見つめて、その有様を自然の姿として受け入れる

それだけだ



しかし、なぜホトトギスは鳴かなければならないのか?

その価値は誰が決めているのか?

時の将軍か? 金正恩か? トランプか? 安倍総理か?

単なる世俗的な我欲の価値観に過ぎない



あるがまま、成すがまま

それでいいじゃないか?

すなわちどうでもいいとなる



人生は、ずっと受け入れる作業の繰り返しである



それを受け入れられないとき

人はもがき苦しむことになる



が、その苦しむ姿すら、それもまたよし・・

どうであれ元々ホトトギスも人も

生きていることで圧倒的な価値があるのだから



これは人類愛、生命愛としての大枠のはなし



ただいかんせん

人として生きていれば皆それぞれの目的も思惑もある

そこに向かうのは当然の作業となる



求めなければなにも実らない

しかし実らないことのほうが多いからもがき苦しむ

そしてときどき実る

実るまでやり続けるか、あっさりと引くかは

その題材による

生きるとは、ずっとそのジレンマのなかにいることだ



その過程で

世間一般の価値観に捲かれるほど無意味なことはない

特に日本人は大衆の価値観に捲かれやすいのだから



時にはそれにより平和を演出することもあるだろうが

それが人とうまくやってゆくための社会性というのなら

そんなものいらないかな?



それが大人だ社会だと思うのならあまりにも貧しすぎる

そのエネルギーは別に回した方がいい



だから世間大衆の価値観に浸ることから逃げる



誰もがそれぞれにオリジナルの価値観をはっきりと持てば

異質のものを別の個性として認められる

他人の思考を避けずに

それはそれとして、むしろwelcomeで受け入れられる


ただ自分はちょっと違うだけだと・・


その方が

圧倒的にクオリティーの高いコミュニケーションが得られ

熟成した大人達のドライな繋がりになれるはずである



いろいろな音色のする秋虫たちの不協和音は

バラバラのようで実は個々の音色が際立ち

誰も引かず出すぎず美しいハーモニーを奏でている



間もなく色ずく紅葉だって

違うのものたちが乱立して美しい調和を魅せるのだ



赤もあれば黄色もあり、相変わらず緑のヤツだっている

さらによく見れば

もっと細分化されたグラデーションを醸し出す

隣に違う色が突っ立っていたって排除しない

これがみんなで妥協した灰色になったら

それはさぞ気持ち悪い景色だろう



明確な自分がないゆえ人に合わせすり寄り

その割には裏で悪口を言っているような

不純で幼稚な社会性とは少々次元が違うのだ



それらは覚えたての下手クソな合奏団のように

どっかの先生に強制され統制されながら

弱々しく危うい音色を奏でるもの・・



結局精神的観念の自立ができないものが群れた場合

その群れから

異質のものを排除し差別する方向へと向かうものだ



弱いものはひたすら

その得体のしれない群れに引きずられる



弱いものがさらに弱いものを傷つけてゆく



この世の問題は

すべてそこからくると言っても過言ではない



逆にそれぞれの分野に精通し自立したオタク人間が協調し

たまたま歯車が合った場合

飛躍的な効果をもたらすことになる



違いこそが解放に向える調和の元

同じことは閉鎖に向う争いの元のだ



そもそもが同じであるわけがないのに

同じに見せかけるからやがて当然のごとく破綻するのだ



人間多くの場面で負けるものだ

逃げるべきポイントがたくさんある

おそらくその方が多いのではないか?



ただ数少ない、逃げてはならないポイントがある

自分の戦えるポイントはごくごく限られている



しかもそのポイントこそ

世間と戦う気で挑む者は不思議と負けるものだ


根本的に、戦うという発想や視点自体が貧困なのだ


数少ない自らの戦えるアイテムとは

好きであり、それに携われば楽しいはずで

スポーツでもない限り、戦う対象は他人じゃない


ずれた対象と戦った瞬間につまらなくなり

したがって本質が曇り

正常な自然からのエネルギーを受け取れなくなる

だからはじめから負け勝負をしているようなものになる



秋の虫だってただ自由に楽しく歌っているだけで

限りなくシンプルである



人間は常にややこしい

ずっと複雑怪奇だ

だからそのシンプルを見失いやすい



何から逃げて、何から逃げないのか

その主体を心して明確にしておかなければ踏み外す



そして数少ない逃げてはならないポイントを見つけたら

その一点からは死んでも逃げてはいけない



絶対に逃げないポイントを

自分の中にたった一点でも持ち合わせなければ

それ以外の数多くの逃げの理由が成立しなくなるのだ



逆に何からも逃げない人はカッコいいが

悪いがただの阿保だ



無駄なものにいちいち体当たりしてないで

さっさと逃げたほうがいいことはたくさんある



人間どこかで逃げちゃいけないような

思い込みと錯覚に駆られるもの

それは何の美学なんだろう?



ほんとはただ仲間外れになりたくないとか

どう思われたくないとか、どう見てほしいとかその類の

ぜんぶ人目を気にしたものではないの?

逃げないのではなく、逃げられないのではない?



自己保身のために・・



すなわちそれが精神的自立ができない者の姿である

魂的自立ができないと言うべきか・・



逃げるにも度胸と強さがいる

シンプルを守るには度胸と内面的成熟が必要だ

孤独になる覚悟と明確な意思がなければ逃げられない



関わりのなかその後に生じるリスクを

全部受け止める腹ができていなければそこへは行けない




いろいろな場面で

逃げることは世間の価値観では恥となるが

ならばあえて堂々と廻れ右

道のド真ん中を大手を振って逃げるのだ



皆さんどうぞお先に

私、逃げます!・・恥ですが、なにか?



顰蹙は買ってでも受けたいのですみません



その度胸があるか?



これが本当の

逃げるは恥だが役に立つ










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posted by 真中 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年08月18日

細胞の認識


72回目の終戦記念日も過ぎ

戦争の記憶もこの国から風化しつつある


改めてゆっくりと戦争体験者の話を聞いてみた

NHKアーカイブ戦争証言

下にURLをアップしておきます


今だからこそ、時間をかけじっくり拝聴するべき

リアルな証言の数々


インドネシア、フィリピン、サイパン、テニアン、

中国、特攻隊、海戦、他

当時各地で繰り広げられた戦闘を

日本人が実際に見た本当の戦争のリアルな体験談である


証言者の誰もがどう見ても善良な人間達だ

その善良な人達が洗脳され戦争へと突き動かされてゆく


洗脳とは思考を単純化して

時に単調なワードを連呼させながら信じ込ませること


戦争とは何なのか?

大衆とは、国家とは、権力とは、思想とは、生死とは

そして人間って、運命って何なのか?


皆愛する者がいて

そして不本意に何かの力により突き動かされ・・


その偶像劇を美化する人もいる

人間は基本的に愚かな生きものである




それぞれの利己的な愛を戦わせ戦争へと発展する

すなわち争いの元は愛とも言える


小さな愛か? 大きな愛か?

愛の大きさで結果が変わる




現代を鑑みてみれば、各国、各組織の思考回路が

あまりにも単純化しているように視える

単純なほど統括しやすくなるが

その単純化は一種の洗脳に直結することがある


単細胞人間が権力を持ち国家や一定の組織を支配すると

人の世はいつだって危うくなるのだ


したがって

時が経過し色褪せても人間の過ちの構造を忘れぬよう

語り継がれるように

ずっとリアルを意識し丁寧に練り続ける必要がある


人は嫌なことは忘れてしまうのだから

世代が替わればなおさら色褪せるのは当然である


それが人間ゆえの宿命のトラップとなる


ましてや

”戦争反対” のワードだけが一人歩きする時代

誰だって戦争反対には違いないが

そこにはもはやリアルは感じ取れず

デジタル社会の中のありふれた

一つのCMキャッチコピーに過ぎない


戦争を知らない我々は

"殺し合いの戦争がいいわけがないから絶対反対!" って

それくらいの表面上

頭脳の先っぽだけの認識でこと足りるのでしょうか?



” 戦争反対! 世界に愛を! 平和を! " と

ただ漠然と偽善者的ワードを連呼し頭で唱えるよりも

まずは実際に過去にあった戦争の生きた証言を拝聴し

当時の実際の肌感覚を、二次的、三次的、四次的に

幾層にもこの細胞にすり込んでゆく作業が必要になる




頭脳で認識するか、細胞で認識するか


人は皆頭脳に頼るが

人間の頭脳で認識したことは

いつだってズレが生じ、立ち位置により変わりやすく

つねに危険をはらむのだから・・












NHK戦争証言

http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/list.cgi









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posted by 真中 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月23日

成功と失敗と幸せな人と不幸な人


例えばお金持ちになった成功者が

一転貧乏に転落すれば不幸になってしまうものだ


例えばフィールドで活躍していたプロ野球選手が

戦力外通告を受ければ当然落ち込んでしまうもの


はたまた全財産をつぎ込み願かけして挑んだ事業が

あえなく崩壊すれば、もう立ち直れない気分になる


さらには浮気だ不倫だと罵り合い

全エネルギーを使い果たし萎んでしまうこともある


成功、失敗、幸運や不運はいろいろな形で訪れる



不運やら、単なる力不足の失敗ならば

その時はまたやり直すだけさ



ただそれだけで

それ以上もそれ以下もない



人は自分で自分を不幸にする



誰かになにかをやられたような気になりながら

自分で不幸のレッテルを貼り

その不幸の暗示を自らにかけてしまう


自らの力不足をまざまざと見せつけられたり

関わりの中で傷つけ合うことは誰にだってあるけれど

その先の自分の心を落としてゆくのは結局自分自身なのだ



人はそうやって心が一度ロックしたものから

もうなかなか抜けられなくなる



だからどうせロックして抜けられなくなるのなら

”何があろうが自分はいつでも絶対に幸運である”

そう自らに強い暗示をかけロックしてしまえばいい



成功の形は人それぞれでいろいろあるだろうが

人生の真の成功者とは



どうなろうが、どちらに転ぼうが

そのゆらゆらと揺れ続ける心もひっくるめて愉しみ

良きにつけ悪しきにつけ特にこだわらず

そもそも生きているだけで

わくわくとした幸せを感じられる

その心境地に至ることかもしれない



それはたとえばルンペンであろうとなりうるし

大富豪であろうとなりえないこと



限りなくシンプルで単純な話だが

人は良い時も悪い時も

幸せの高揚にしがみつき、または不幸の消沈を恨み嫌い

一々その物質的現象と

心の有り様に執着し囚われてしまうから

そのシンプルを実行するのはとても難しくなってしまう



大地を渡る風のように

綺麗な山も湖も

ごみごみと我欲の渦巻くこの街も

汚物の集うドブ川を渡ろうとも


ケセラセラさ・・



人生はパラドックスである



思い込みのトラップにはまってしまえば

抜けられなくなる錯覚の夢物語にすぎない


皆がそれぞれに自ら仕掛けた想念の時空を生き

正義だ悪だ、幸福だ不幸だとそれぞれが錯覚する


そして自らが思い込んだその錯覚の世界に

自分を縛りつけずっと生きてゆくのだ


その裏側には

とてつもなく大きな実相世界が流れているのに・・


実像は、

どうにでも変化できる、果てしなく広い流動の世界であり

その世界は一秒たりとも立ち止まらず常に形を変えてゆく

そしてその実態はいくら人間の頭脳で解明しようとしても

絶対に確定できないものだ


人の心だけが良い時も、悪い時も立ち止まり

その場所に執着してしまう


終いには死んでからも

未練たらたらどこまでも念を残す者までいる始末


どこまでも自分を一丁目一番地に置き

自らの正当性を主張するのが人間という生きものである


だだっ広い荒野に

小さくて狭い虚像のパラドックスをこしらえ

まるでそれが世界のすべてであるかのように思い込み

自らを縛りつけ、身動きが取れなくしているのは

紛れもなく自分自身となる



どうせ夢ならいい夢を見たほうがいい



だって人生は

たかだかたった一度っきりの夢物語なのだから・・



せき止められた湖は必ず濁るのだから

現象に囚われその想いの水を止めてしまわない限り

また次々変化して

面白いことがどんどん勝手にやってくるさ





失敗せぬよう自然の風を遮って

ビクビクと這いずりながら安全地帯にしがみつき

少しばかり成功すれば高揚し調子に乗って大顔を晒し

海辺のテラスでクリュッグを呑みほし反りかえっては


ひとたび失敗してしまえば被害妄想にまみれ

今度は恥ずかしそうに人目を避けながら

いちいち不幸な顔をしているような夢を見るより



どこへ向かうかもわからない乱高下する風に乗り

美しい山頂や谷を吹き抜け

色とりどりの花の咲き乱れる野原を駆け巡り

マーマレードとカフェオレのいい薫りのする

都会の路地裏で急カーブして

時にどす黒く悪臭漂うドブ川の上を渡ろうとも

後腐れせず立ち止まらずどこまでも走りぬける


その旅すがら何に出逢って楽しすぎて悲しすぎても

ワクワクした心のままで、またその先を求め

吹いてくる風に身をゆだねながら

自由に空を舞う夢のほうが・・


素敵・・。











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真夏の日光、中禅寺湖と男体山にて













posted by 真中 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年07月12日

被害者は加害者・いい人はわるい人


いよいよと言うのか、とうとうと言うか

ともかく暑くてむさ苦しい真夏がやってきた

自分としては苦手な季節の到来


しかも最近の夏は期間が長すぎやしないか?

6月から10月初旬まで丸4カ月ちょっとは暑い暑い日が続く

一年の3分の1だ

季節は4つあるのに・・計算が合わない

昔はそんなだったっけ?

そりゃ、春も秋も少しづつ肩身が狭くなるってものだ


このむさ苦しい夏に限ってむさ苦しいニュースが

入道雲のようにどんどん自然発生し

やがて雷雨となり猛威を振るい、もう手に負えない



おばはん達の熱い夏!!

まぁ、おっさん達も負けてはいないが

・・特におばはんが目立つ今日この頃


もう笑うしかない


秘書を罵倒しながら程度の低い誹謗中傷をし

または単なる離婚騒ぎの恨み節を

ネチネチとネットでぶちまけ

どこぞの落選議員は

誰かさんが脇が甘いから私は落ちたと・・


みんな自の非を認めない

自分は一切悪くないのだから、おめでたくてとても稚拙だ


冷静に視てみれば皆何かに依存して

結果が得られないから逆ギレしているだけで

自らの幼稚さを露呈しているにすぎない

彼らには決まってその強烈な自我を反省する感性がない


ただ単に依存心が強すぎるのだろう


依存心が強い者は思い通りの結果に成らなかったとき

逆ギレする・・ことが多い



この種は今や議員や芸能人に限らず

街のあちこちに潜伏する

ほんとうにむさ苦しい時代になった



物事を俯瞰して視ずバランス感覚を欠いた

自己中人間は確実に増えているようで

彼らは大抵外面が良く

そのわりには人の意見は聞き入れないのが特徴である


小さな考えに囚われた者は自の考えがいつでも正しくなる

平たく言えばキャパが狭いのだ


すなわちそれを侵されると逆ギレする

まるでストーカーの心理に類似する


その数が多くなればこの世相も

もはやみんなで渡れば怖くない状態となり

根本的な想念の気候変動を巻き起こすことになる


刑事事件でもない限り

民事上のちまたの戯れ事で被害者と主張する者は

断片的に視るのではなく

時間軸をずっと前から通して視てみれば

実は加害者の要素を兼ね備える


被害者になるべく相手への危害の種を

少しづつ知らぬ間に

自らが撒き散らしてきたのではないか?

しかし当人はそんなつもりはないのが常で

それが自分中心でしか考えていない証しとなる


その一切を棚に上げ一番最後に被害者になったとき

結末の断片だけを強調して

すべてが被害者のような顔をする


タマゴが先か? ニワトリが先か?


その総体を加味して考えれば

傷つきながらも少しは謙虚になれそうなものだ


そしてとかく

いい人は、わるい人だ


断片的に自分にとっていい人は

時間軸を長期で、そして大きく多角的に視てみれば

結局は自分にとってわるい人になることがある


そしてその逆パターンで

悪い人がいい人となることもある


すなわちいい人も悪い人も

自分が勝手に決めつけ思い込んでいるだけで

事実はそうでもないということ




道理を理解せずに近々の断片だけを切り取って

白黒判断し、思い込み、人を責め立ててしまえば

回り回って最終的にはまた自らに負が返ってくる


その負の連鎖を想像できないのならもう仕方ない・・


豪雨、雷雨、暴風雨は枯れるまで降らすしかないが

枯れ果てたときみじめになるのは結局自分となる


”千と千尋の神隠し” に登場する ”顔なし” が

吞み込んだ汚物を吐き出し枯れ果てた後

力なくトボトボと歩いていた姿を連想させる



この暑い夏が伸びてしまったワケは

こういうむさ苦しい世相により連鎖するの

・・かもしれない



人間の想念と、気候や天変地異は連動する

まさしく残念な都市伝説である



そしてこんなに愚痴っぽくて

聞いてる側も更に暑くなるようなことを

わざわざ発信しなくともよいのだけれど

それでも発信してしまうのは


ぜんぶ、暑さのせいさ!!


暑さはそういう負を連鎖させる


狂気的に怒鳴りまくるヒステリー議員とか

貞子みたいにテレビの枠から乗り出してきそうな

とある女優の怨念ビデオを見てしまってから


・・どうもおかいい


あれが単なる新しいホラードラマの段階的番宣だったら

センスを感じられたのに・・


いい加減テレビ局も流さない方がいい

負の空気を撒き散らしてるからもうやめようよ!!


それを面白がって総力を挙げ彼女の居場所を調べたり

テレビのワイドショーもくだらないし

ツイッターやFBでフォローする方もどうかと思う


そしてフォロー数が増え家族が増えたとか喜びながら

さらにパワーアップしてる本人も


もうみんな壊れてしまっている


呑みこんだ汚物は全部吐き出さなければならないが

ゲリラ豪雨ならごく狭い局地に降らせばいいのに

全国的に降らせることが自己満足になっている


それが彼女にとっての聖戦なのだろうが

その正義は自己中心的で屈折しているテロリストと同じ

まさに ”顔なし” と同じ


やはりみんな暑いから壊れ気味なんじゃないかな?





やっと蝉が鳴きはじめ

夏らしい夏となった




毎年蝉の鳴き声は胡散臭いと想っていたけれど

罵倒する人間様の叫び声に比べたら

なんて心地よいのだろうとあらためて気づかされた



皮肉なものだ



そうめんとか冷製パスタでも食べてクールダウンしよッ!!



皆さんも不意打ちのゲリラ豪雨に攻撃され

夏バテしないようご自愛ください



それでもなんかあったら

みんな暑さのせいさ!!




ドンマイ!!









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posted by 真中 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月28日

しあわせのはかりかた


3%の確率でも信じればやがて100%になりうる

元が0でない限り・・


90%でも100にならず0になることもある


3%でも諦めないか?

90%で過信するか?


100は遠くて近いもの

そして近くて遠いもの


0でない限り、可能性は常に流動する


5月の後に7月がくる確率は0

日本の8月が真冬になる確率も今のところ0%


そういう頓珍漢なこと以外

すべての事象は100になりうる


ここはゼロという無の世界じゃない

1以上の有の世界


生命が誕生した瞬間に”1”となり

我々は生きてさえいれば100へ向える

常に流動する動の世界に存在することになる


この世に誕生した人間は自動的に100を目指し

または今以上の数値を目指すようになる


その様はまるで本能的であり、先天性であり

生まれてから後発的に学習した感性ではなさそう


まるでそれが生きている証であるかのように・・


考えてみれば人は不思議な生きものだね



そしてやがて、時々、いや結構な確率で

上を目指さなくなるものだ


それは生命の本能に反しているのだろうか?

もしくはこの世に嫌気が差した反動だろうか?


今以上にあらゆる数値を上げることが

本当に幸せへの道なのだろうか?

下げてみることは幸せへとつながらないのか?


人はいつでも上を、今以上を目指すことが

人としてまともで健全なのだろうか?



そもそも100が何なのかもわからぬままに・・



毎度そこに

仕組まれたトリックのようなものを感じてしまう



今日も人々は何かを競っている・・おそらく本能的に



何の数値を基準にしているのかは知らないけれど・・




///////////////////




闇雲に努力して世間の基準に合う数値を上げたところで

それがすべて幸せに繋がるとはかぎらない

それは単なる見栄っ張りのすることかもしれない


自分にとっての100を見つけることのほうが

よほど有意義にみえる


根拠もなく世間一般の100に合わせひた走れば

時に空しくもなるし、くたびれちゃうんじゃないの?


その自分の100は他人から見れば

もしかしたらとても馬鹿げたことかもしれない









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ビールの泡の比率が多いと美味しくない確率は100

それでも美味しい確率も100・・(酒好きにとっては)



PS//

トランプはサウジアラビア外遊で演説し

テロリストは悪で我々は善である!

だから皆で協力してその悪を退治してください!

その先に幸があるのだから! そう言い放ち

異常な程多額の武器をセールスした後

アメリカに雇用が生まれる! と高笑いした


善悪を一方的に定義付け

すべてを平面ニ局でしか考えられない

世界を動かす権力者達の単細胞ぶりは興味深い


自尊心を満足させることと、幸をもたらすことは違う


我々世間一般の者たちはどうでしょうか?














posted by 真中 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記